なぜ雅子さまは「涙」を流したのか? その意味を読み解く

歴史の凝縮であり、未来を象徴するもの
河西 秀哉 プロフィール

涙もろくなっただけだろうか

2001年12月1日、雅子妃は愛子内親王を出産する。翌年4月2日には皇太子とともに記者会見に臨み、出産に至るまでの自身の気持ちを話すなかで、涙を流した。

〔PHOTO〕gettyimages

「生まれてきて本当にありがとう」という気持ちからで、「母親になって涙もろくなって」と述べたものの、そこにはいわゆる「世継ぎ問題」のプレッシャーがあったのではないか。

皇室典範では天皇は男系男子しかなることができず、この時も「次は男子を」という声が報道されたこともあった(たとえば、高松宮喜久子妃は『婦人公論』のなかで、「雅子妃殿下に過度の心理的負担をお掛けするようなことがあってはなりません」としつつ、次の子どもの出産(つまりは「世継ぎ」となる親王の出産)にも期待した感想を寄せている)。こうした状況もまた雅子妃にはプレッシャーになったように思われる。

 
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そして2003年12月、雅子妃は帯状疱疹を発症し、公務を休むことになった。翌年、皇太子が記者会見で、いわゆる「人格否定発言」として大きな問題となる、「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」との発言をする。

皇太子がこうした発言をした背景には、国際的なキャリアを有する雅子妃に対して、それを活かすのではなく、子どもを産むことを優先させる動きがあったからだろう。

その後、雅子妃は適応障害であることが発表され、療養生活を送ることとなった。それは、男女雇用機会均等法の第一世代として自信を持って皇室へ入ってきた雅子妃が、挫折とも言えるような経験をしたと評価できるだろうか。

そして療養中も、様々な困難が雅子妃に直面した。愛子内親王の不登校問題、その後の学校への付き添いが週刊誌などのマスメディアでは批判の対象となった。皇太子一家に対する不満から、皇太子夫妻の離婚や廃太子を主張する論者もあらわれた。

こうした皇太子夫妻のあゆみは、右肩上がりの昭和から分断社会となった平成という社会の展開とも符合しているように思われる。閉塞感ある社会とともに生きる存在だったと言える。

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