なぜ雅子さまは「涙」を流したのか? その意味を読み解く

歴史の凝縮であり、未来を象徴するもの
河西 秀哉 プロフィール

「開かれた皇室」の象徴

雅子皇太子妃は皇室会議直後に記者会見で、自身の果たすべき役割は「皇室という新しい道で自分を役立てることなのではないか」と述べた。それが皇太子のプロポーズを受け入れた要因だとしたのである。

外務省の勤務から、今後は皇室で「自分を役立てる」。国際的感覚を有し、そうしたキャリアを積み重ねてきた彼女が、今度は伝統的な皇室を新しい国際化社会に対応させる、そうした自信をこの言葉から読み取ることができるだろう。

〔PHOTO〕gettyimages

そして結婚後、皇太子と雅子妃は積極的に海外を訪問していく。そうしたいわゆる「皇室外交」の展開は、雅子妃のキャリアを活かすものとしてマスメディアでは報道され、人々もそれを受容していった。

まさにそれは、雅子妃の言葉どおりの展開だったのではないか。そうした状況は、女性が結婚しても外で仕事をするという状況を示したことでもあり、天皇制が変化するのではないかという期待感を持たせることにもつながった。

平成は「開かれた皇室」として、国民に近い天皇制のあり方が模索され、それがマスメディアを通じて伝えられていた。雅子妃の存在そのものが「開かれた皇室」の象徴とも見られたのではないか。

 

キャリアとの整合性が問題に

ところが、1999年12月10日に『朝日新聞』が雅子妃の妊娠の兆候をスクープしたころから次第に変化を始める。その後、30日に稽留流産の手術を受けたと発表されたが、マスメディアの過熱した報道に皇太子や宮内庁が疑義を唱えることもあった。

皇太子妃である雅子妃の生む子どもは将来の天皇になる可能性があることから、マスメディアはいわゆる「世継ぎ問題」をも積極的に報道していった。それは、女性の役割は子どもを産むこととするような古い価値観に起因していたように思われる。

つまり、キャリアを活かして仕事を担うことと子どもを産んで家を継続させていくこととの両立がかなり難しいことを予想させたとも言える。おそらくそれは、雅子妃だけが抱えていた問題ではない。社会の状況は変わり、それまでのように家を継続し守るという感覚は若い世代にはなくなりつつあった。

しかし、世間は必ずしもそうではなかったため、同年代の女性も同じような困難に直面したのではないか。そして雅子妃も、自信を持って取り組んでいたキャリアとの整合性が問題となったのである。

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