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# キャリア

「痛い人」と、言われてからが勝負だ

愛って何だろう、優しさって…

とてつもなく寒い目で見られた、あの日

「痛いよ、君」

と言われたことがあるでしょうか?

私はあります!どれぐらいあるかというと、本格的に痛いと思われていただろうのは高校三年生のときでした。

 

その時、私は、いわゆる今でいうところの「社会起業家」として活動していました。テーマは教育問題。世の中の大人と、学生が、対等に論理的に話し合える場を作ること。そのために日夜活動をしていました。平日の全て、土日もその活動で潰れる日々が続きました。

しかし、世の中的には、高校三年は受験のシーズン。正直周りからは、とてつもなく寒い目で見られていたのを覚えています。それもそのはず、1円にもならないなかで、普通に考えると「そんなことするべきではない」「他にやるべきことがある」からです。「痛いやつだなぁ」と思われていたに違いません。

でも今になって思うのは、間違いなく、新しいことをする、というのは「痛いと思われること」と表裏一体です。とくに最初は、です。

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たとえばわかりやすくいうと、野球の大谷翔平選手が仮にいま、サイ・ヤング賞を獲る、といったとしても誰も笑わないでしょう。だって実際に取りそうだからです。でも、彼がもしまだ無名の中学生だったときに同じことを言っていたらどうでしょう?

おそらくほとんどの人、特に野球に造詣が浅い人は笑っていたはずです。「ふっ」と。

この理論は、まさに著書『天才を殺す凡人』で書いた、創造性は反発の量で測れる、という話と同じです。