大事な政治的記録は何らかのかたちで残る
中国の古典『春秋左氏伝』に、こんな話が載っている。
春秋時代、斉の崔杼(さいちょ)が荘公を殺した。史官はこれを「崔杼、荘公を弑(しい)す」と記録した。「弑す」とは主君を殺すという意味である。
怒った崔杼はこの史官を殺した。ところが、その弟が史官を継いで、また「崔杼、荘公を弑す」と記録した。崔杼はふたたび史官を殺した。それなのに、またその弟が史官を継いで、やはり「崔杼、荘公を弑す」と記録した。さすがの崔杼も、ついに記録の改竄を諦めた――。
どんなに消そうとしても、大事な政治的記録は何らかの形で残されてしまうものなのである。この『左伝』の箇所がたびたび参照されるのは、そうした真実を衝いているからにほかならない。
もちろん、「役人は殺されても記録せよ」と言いたいのではない。そんな使命感に訴えなくても、何らかの記録は残されるだろう。というのも、記録を完全に破棄してしまうと、政治家/上司に「官僚/部下が勝手にやった」などと責任を押し付けられるリスクがあるからだ。
仮に公文書自体は完全に処分されているとしても、担当者が身を守るために記したメモや日記、下書きなどは数年後に出てくるのではないか。
終戦時にさえ抹殺できなかった公文書の存在は、そんな期待をわれわれに抱かせてくれる。そして未来に出てくるであろう「史料」は、目の前の倒閣運動には役立たなくても、長い目で見たとき、かならず後世のひとびとの役に立つはずである。