2019.12.08
# 戦争 # 日本

「絶対に勝てるか」“抹殺できなかった公文書”が伝える昭和天皇の大声

残された重要史料が今に教えるもの
辻田 真佐憲 プロフィール

「大東亜共栄圏」の実態を明らかに

もうひとつ『杉山メモ』から貴重な記録を取り上げて、公文書が残された有り難みを噛み締めておきたい。

1943年11月、東京で大東亜会議が開かれた。東条英機首相、中華民国の汪兆銘行政院長、満洲国の張景恵国務総理、タイのワンワイタヤーコン首相名代、フィリピンのラウレル大統領、ビルマのバモオ首相が参加し、さらにオブザーバーとして自由インド仮政府のチャンドラ・ボース首班が陪席し、「大東亜共同宣言」が採択された。

この宣言については、「大東亜各国」の共存共栄、自主独立の尊重、人種差別の撤廃などをうたったことから、現在でも高く評価する声がないではない。

だが、『杉山メモ』に収録された「大東亜政略指導大綱」を見ると、その裏事情が浮かび上がってくる。

 

「大東亜政略指導大綱」は、同年5月31日の御前会議で決定された「大東亜」地域に関する基本方針である。大東亜会議の開催も、これにもとづいて決定されたものだった。

その内容を見ると、フィリピンの独立などを打ち出すいっぽうで、一部の占領地については「帝国領土」とする決定が下されている。

 「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は帝国領土と決定し、重要資源の供給源として極力之が開発並に民心の把握に努む。

つまり、現在のマレーシアやインドネシアにほぼ相当する地域を、日本の領土に組み込むとされていたのである。これは明らかに、「自主独立の尊重」などと相反するものだった。

だからこそ、上記の条項は「当分発表せず」と秘匿されなければならなかった。千言万語を尽くすより、この箇所は「大東亜共栄圏」の実態をよく示してくれている。

今日「大東亜共同宣言」が一部でしか評価されていないのは、こうした史料も関係しているのである。

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