中島みゆきの「魂の歌声」に圧倒され、救われた人々の証言

重く尖っているけど、聞き惚れてしまう
週刊現代 プロフィール

中島は、その頃からライブを行う度に試行錯誤を繰り返していた。同じ曲でもアップテンポにしたりスローバラードに変えてみたり。明るく歌ったりあえて暗く歌ったりすることで調子を変えたりと、表現方法を模索し、自分のスタイルを磨き上げていった。

その日々こそが、誰にも似ていない中島のスタイルを築き上げることになった。

「彼女がステージに立つと、会場の雰囲気が二分するんです。『素晴らしい!』と称賛する観客と、『なんなんだ、これは』と戸惑う観客。でも、誰も席を立って帰ろうとはしなかった。みんな、彼女の歌と演奏にくぎ付けになってしまうんです。

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ライブ中のMCも攻撃的で、彼女は観客と真剣に対峙していました。『私は歌う人、あなたは聴く人。あなたの視線は、私に突き刺さっている。そして、私もあなたのことを見ている』と言い放つんです。

すごい覚悟ですよね。中島さんは、常に観客と1対1のつもりで歌っていたんです」(前出・前田氏)

 

大学在学中のライブを通して、すでに中島には熱狂的なファンがついていた。だが、卒業を機に彼女は活動をストップし、実家のある帯広に帰る。そこで父の病院の手伝いをして過ごしていたが、やはり音楽への思いは断ち切れなかった。

毎日のように作曲に没頭し、ついには100曲以上のオリジナル曲を書き溜めるまでになった。

そして'75年、ミュージシャンの登竜門だったヤマハ主催の「第9回ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」に『傷ついた翼』で応募して入賞。あれよあれよという間にデビューの切符を掴み取り、一気にスターダムにのし上がっていった。