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ローマ教皇に言いたい、バチカンこそが難民を受けいれるべきです!

中国の人権問題とも向き合いましょう

教皇って、そこまで偉いんですか?

ローマ教皇が、11月23日、1981年以来2回目の日本訪問を行い、26日まで各地で「お説教」をして回り、無節操なオールドメディアもその「お説教」を有り難いものだとして賛美した。

しかし、このような現象に筆者は強い違和感を覚える。もちろん信者の方々が、教皇を崇め奉ることを問題にしようというのではない。それはまったく「信仰の自由」の問題だから、信徒ではない部外者の筆者が口を出す問題ではない。

しかし、逆にたとえ13億人の信者を抱えた巨大宗教集団であっても、「この世の政治」に口を出すべきではないのだ。

 

「マタイによる福音書」(22章15節から22節まで)によれば、ジーザス(キリスト)は、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と説いている。

つまり、ジーザスが述べるように、現在宗教の自由が保護されているのは、「この世のことは、国民と政治家に」、「あの世(神の国)のことは神に」任すという原則があるからである。

もちろん、これはカトリックに限らず、日本を含む世界中の「宗教系政党」が抱える問題でもある。

宗教と政治が結びつくことほど恐ろしいことはない。

いわゆる中世暗黒時代には、ギリシャ・ローマ時代の輝かしい文化・技術がすべて失われ、生きたま人間を焼いたり、八つ裂きにしたり、拷問師という専門家によって想像を絶する「この世の地獄」を多くの人々に味あわせたりした。

言ってみれば、カトリック教会が支配した中世ヨーロッパというのは、現在の北朝鮮よりもひどい状況であったのだ。

さらに、日本で鎖国が行われたのは、日本人をカトリックに改宗させることによって植民地化をしようという西洋諸国の魂胆を幕府が察したのが大きな理由の1つである。

白人国家の植民地にされた国々の悲しい歴史を見れば、幕府の判断が賢明であったことがすぐにわかる。

さらに、「十字軍」などと自慢げに語られることが多い「十字侵略軍」は、2000万人の人々(イスラムだけではなく、なんとキリスト教徒も……)を殺戮したとされる。当時の世界人口から考えれば、とんでもない大虐殺である。

それに対して、先進文化圏イスラムの将軍、サラディンの良識的かつ正々堂々とした振る舞いは、「十字架を掲げた野党集団」であった人々にも感銘を与え、後の欧州の騎士道の原型になった。

このような歴史から考えれば、教皇はまず「もう過ちは繰り返しません」と世の中に謝罪する立場にある。