銃撃された中村哲氏…生前に語っていた「アフガンで井戸を掘る」理由

本当に役に立つ支援をするために
現代ビジネス編集部

日本国内の支援組織「ペシャワールの会」に支えられながら、中村医師は無料診療を続けた。’91年にはアフガン国内に五つの臨時診療所を開設し、本格的な活動をスタートさせた。

ソ連軍が撤退した’89年以降、欧米諸国からの支援が爆発的に増え、NGOが大挙してアフガンにやってきました。しかし、その多くが失敗に終わりました。彼らは現地の事情を理解せず、ただカネと食糧をばらまいていくだけ。せっかく集めた寄付も彼らの組織維持のために消えていく。そんな光景を数多く見てきました。結果、現地には何も根付かない。偽善以外の何物でもありません。

 

続かなかった「アフガンの平和」

地道な活動を続けていた中村医師は次第に、地元との信頼関係を築いていく。アフガン市民もタリバン政権下で落ち着いた生活を取り戻しつつあった。だが、そのアフガンを襲ったのが’00年の干ばつと、翌年のアメリカによる攻撃だった。

‘00年、未曾有の大干ばつがアフガンを襲いました。家畜の9割が死に、100万人の国民ががしの危機に瀕したと言われています。そして、この大被害から立ち直る間もなく、アフガンの人々はアメリカの攻撃に晒されました。弱者の上にミサイルが降り注いだのです。

首都カブールからは食料も薬も消えました。そんな中でも私たちはカブール市内の診療所を運営し、ペシャワールから大量の食糧を輸送し続けました。このとき、欧米のNGOは何をしていたかというと、国境線で難民が流出してくるのを待つだけでした。アフガン国内で活動するNGOはほとんどなかったのが実態です。

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