12月18日 東京駅の開業記念式典が開催される(1914年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

3月19日に建物が竣工していた東京駅が、この日、駅設備全体の工事が終了し、開業記念式典が開かれました。式典では、来賓を乗せた開業一番乗りの京浜東北線の新型電車が、車両の重さで路盤が沈み、パンタグラフが架線から外れて立ち往生する、などというハプニングも起きましたが、翌日より無事、通常営業に入りました。

当初、東京中央停車場として計画され、ドイツ人の鉄道技師に新橋~中央停車場間の鉄道高架とあわせて設計が依頼されました。しかし、長い設計期間を経てできあがった駅舎の案は日本風で、日清、日露の両大戦における戦勝で列強入りに沸いていた当時の日本人の期待するところと少しずれていました。

そこで、元帝国大学工科大学(現・東京大学工学部)学長の辰野金吾(たつの・きんご、1854-1919)に改めて設計を依頼。その結果として出てきたのが、現在の千代田区丸の内側に当たる部分に建てられた東京駅丸の内駅舎のデザインだったのです。

【写真】辰野金吾
  辰野金吾 photo by Kodansha Photo Acchive

駅舎は、ルネサンス風建築で、駅前広場中央からまっすぐ伸びる大通り「行幸通り(都道皇居前停車場線)」は、皇居外苑につながっており、"帝都の中央停車場"として性格を表しています。行幸通りに面する中央の乗降口は貴賓用(皇室専用)で、一般の乗降口は左右に分かれていました(現在の丸の内南口、丸の内北口)。

【写真】1920年ころの東京駅
  落成から数年たった1920年ころの東京駅 photo by gettyimages

構内には、現在も営業を続けるホテル、レストランのほかに、昭和に入ると浴場を併設した理髪店なども営業し、長旅が常だった当時の旅行客をバックアップする多彩な設備も備えるようになってきました。

【写真】戦前の東京駅の様子
  昭和初期の東京駅の様子。写真上は、両替窓口(左)、最初に導入された自動券売機、写真下は有名人も通った荘司調髪店。理髪のほかに浴場(左下)や喫茶部(右)もあったという photo by Kodansha Photo Acchive

その後、隣接する東京中央郵便局との間に地下通路と荷物運搬尿のトロッコが開通し(関連記事:5月23日 日本初の地下鉄[1915年])、八重洲側には八重洲本屋(鉄道会館)が落成(1929年)、鉄道省庁舎(後の国鉄本社ビル)も落成(1937年)。原っぱだった駅周辺もオフィス街が形成されるなど、急速ににぎわいを見せました。

しかし、第二次世界大戦で戦況が悪化すると空襲を受けるなど荒廃し、駅舎の一部も消失してしまいました。戦後まず進駐軍輸送や復員輸送のために応急的に修復、 同年10月より本格復旧工事に着手し、1947年に安全重視の2階建てに形を変えて完成しました。

【写真】戦災で形状の変わった丸の内駅舎
  戦災復旧工事により形状が変わった駅舎 photo by gettyimages

その間も、丸の内駅舎は戦災復興の姿のまま使われ続けましたが、2012年10月に当時の姿が復元されました。復元工事中の2003年には国の重要文化財に指定されています。

【写真】復元された東京駅
  復元工事のなった東京駅丸の内駅舎 photo by Bluebacks