プロ経営者・原田泳幸氏は、マクドナルドで結局「何をしたのか」

タピオカ大手の社長就任を機に振り返る
福田 健 プロフィール

原田はさらなるサービスの標準化を目指すべく、より抜本的な方針転換も行った。各店舗の裁量を縮小したのである。

マクドナルドのマーケティングは、店舗ごとに行う「ローカルストアマーケティング」と、本社が主導する「ナショナルマーケティング」の2種類が存在する。原田改革以前は、各店舗の店長の裁量度が高く、「近所への宅配から日用品の配布キャンペーンまで、かなり自由だった」(元店長)という。

だが、原田はローカルストアマーケティングを縮小し、本社の企画を強化した。たとえば、店頭でのクーポン券の配布を減らし、本社主導で携帯電話を使った「かざすクーポン」へとシフトさせた。

こうして本社が“中央集権”を強め、サービスの標準化を図った結果、原田体制がスタートした2004年、既存店売上高は8年ぶりにプラスへ転じたのだった。

続いて原田は、得意のマーケティング戦略を立て続けに展開していく。「客数×客単価」の公式に従い、客数を伸ばそうと、2005年には24時間営業店を拡大し、ワンコイン商品「100円マック」を導入。2008年には「プレミアムローストコーヒー」を全国で展開した。それぞれが功を奏し、客数は一気に伸びた。

公式に従えば、増えた客にはおカネを落としてもらわなければならない。同時に原田が考えたのは、客単価の引き上げだった。

日本独自の「えびフィレオ」(2005年)、米国を参考にした「メガマック」(2007年)、「クォーターパウンダー」(同年)など、価格の高い商品を期間限定で売り込んだ。さらに2007年以降は、家賃や物価が高い地域では商品の価格を引き上げる「地域別価格制」を導入するなどして客単価を引き上げ、売り上げを伸ばした。公式どおりの展開である。

 

徹底したコストカット

続いて(2)サプライヤー変更である。マクドナルドにとって、サプライヤーは極めて重要な位置づけを持つ。米マクドナルドの創業者、レイ・クロックは自伝『成功はゴミ箱の中に』でサプライヤーが創業時にどれだけマクドナルドを支援してくれたか、そのことにどれほど感謝していたかを詳細に書き残している。

先にふれた日本マクドナルド創業者の藤田もサプライヤーを大事にした。創業当時、藤田は米マクドナルドの言いなりになるのを嫌い、信頼できる日本のサプライヤーを選んだ。配送は富士エコー、パンはフジパン、ハンバーグはスターゼンといった具合である。これらのサプライヤーもまた藤田を支えた。両者は蜜月関係にあった。