追悼・中曽根康弘氏──「節制と精進の名宰相」に捧ぐ

大食も深酒も、決してしなかった
岡崎 守恭 プロフィール

憲法改正、実は封印

中曽根氏と言えば、憲法改正の総本山と思われてきた。実際、国政に進出するや、マッカーサー元帥に建白書を出し、独立を果たすまでは喪中だとして、ずっと黒のネクタイを締め、「憲法改正の歌」を自ら作詞、東京宝塚劇場でその発表会も開いた。

歌唱は「歌のおばさん」の安西愛子。宝塚の天津乙女、大映の船越英二、東宝の司葉子、ビクターの三浦洸一らの人気者が出演した。「民族独立の歌」をB面としたレコードも出て、当時の金額で三千円以上の印税を得たという。

レコードが発売された昭和三一年、フランク永井の「13800円」という曲がヒットした。大学卒の初任給がこの水準だったのである。それに比べて三千円以上という印税は売れたのか、売れなかったのか。

今回、「中曽根氏の総決算」が新聞、テレビを賑わし、どこも中曽根内閣で憲法改正に挑んだかのような書きぶりになっているが、それはちょっと違う。中曽根氏は政権の発足後、すぐに「憲法改正は自分の政治日程には載せない」と宣言している。

これは国鉄分割・民営化に代表される行政改革を断行するに当たって、憲法改正も俎上に上げることは二兎を追う者の失敗を犯すと判断したからである。岸信介元首相から「中曽根君、行革を成し遂げたのは明治維新とマッカーサーだけだよ」と言われたほどの大事業を控えて、憲法改正ははっきりと封印し、自ら「見果てぬ夢」にとどめた。

後に「憲法の再検討は常時、なされていなければならない」とは主張し、その火は消さなかったものの、政治的に敬遠したことはまことに遺憾だったと振り返ってはいる。が、「政治家は業績だ」を信条に、やりたいことと、やれることをきちんとわきまえたのが現実を直視した「中曽根政治」だったと言っていい。

中曽根氏の後もあまたの首相が誕生した。が、その重厚度の落差から、国政を文字通り主宰した印象は格段に薄い。「官邸主導」が喧伝されても、この傾向は時代を追って顕著になっており、もう普通の「元首相」しか出ないのかも知れない。

「最後の宰相」逝くの感を禁じえない。