追悼・中曽根康弘氏──「節制と精進の名宰相」に捧ぐ

大食も深酒も、決してしなかった
岡崎 守恭 プロフィール

究極は日の出山荘

中曽根氏は60年安保の第二次岸内閣で科学技術庁長官に抜擢された。しかし岸内閣の退陣に伴って閣僚の座を去ってから七年間、表立った役職には就かなかった。就けなかったという方が正確かも知れない。

本人の弁に従えば「趣味を豊かにし、将来の勉強になることを心がけ、本線を外れて、引き込み線に入った」ということになる。

当時、自民党の実力者の一人である石井光次郎氏から「中曽根君、欧米にはKill the timeという言葉があるよ」と言われた。「時間を殺す」である。

中曽根氏はこれが心に沁み、後に自ら「悠遊の時代」と呼ぶこの時期に東京の郊外に「日の出山荘」をつくって、あえて「孤独」の時を過ごした。

特に大自然の中での「孤独」は怖れや慎みを生み、それが独創的で、勇気の裏付けを持った決断力をはぐぐむと確信していた。

大自然の中の「天上の星と内なる道徳律」への畏怖と尊敬と言えばカントの「実践理性批判」だが、旧制高校仕込みの教養を大事にした中曽根氏は哲学を好み、これも「日の出山荘」という環境とフィットしたのだろう。

本人が「笑われるかも知れないが」と照れ臭そうに話してくれたのが「母の星」である。特定の星ではなく、その夜の空で一番、大きく輝いているのが「母の星」である。

中曽根氏が東大在学中、「試験の最中だから知らせてくれるな」と病床で言い続けて母のゆくさんは逝った。それ以来、この母はずっと中曽根氏の「僕のマドンナ」だった。

「困った時には母の星を探す。するとあの星が守ってくれているんだと思って勇気が湧いてくる」。あまりに真剣に語る中曽根氏に、こちらもどういう顔で聞いたらいいか困った。            

今宵また銀河を抱き草に寝る

漆黒の闇の中で、満点の星の下、日の出山荘を満喫している中曽根氏の姿が最もよく浮かんでくる一句である。