国は戦争被害者が死ぬのを待っている?戦後補償問題の「厳しい現実」

この悲劇を繰り返さないために…
栗原 俊雄 プロフィール

74年間も見捨てられてきた

東京大空襲などもそうだった。だから原告たちは裁判が続いていた2010年、立法運動を推進するため「全国空襲被害者連絡協議会」(全空連)を発足させた。敗訴確定後も、全空連は活動を続けている。

その一環として河合さんたちは今年4月、衆議院第二議員会館前で仲間と共につじ立ちを始めた。国会会期中の毎週木曜日、祝日や雨天を除いて正午から1時間。訴えを記したリーフレットを通りかかる国会議員や秘書らに渡す。リーフレットには、こう書かれている。

「(筆者注、第二次世界大戦末期は)国中が戦場だったのです。戦禍の中で、一般市民が命を奪われ、重傷を負い、住むところを奪われました。

戦争が終わってからが本当の苦しみの始まりとなった多くの人がいます。戦争孤児、戦争障害者、PTSDの人たちです。社会的偏見、経済的困難の中、生きることに精一杯で、長い年月、声を上げることができずに、生きてきました。

軍人軍属には恩給が、その遺族には年金が支払われてきましたし、さらに継承者にも弔慰金が支払われています。しかし、一般市民の空襲被害者には今も、全く救済措置がありません。なぜでしょうか。(中略)

74年間も見捨てられてきた被害者は高齢となり、日ごとに少なくなっています。未来を生きる人々のためにも、こんな不条理を放置したまま死ぬわけにはいきません。皆様のご理解、ご支援を、お願いします」

 

「先の大戦の空襲被害者は今も補償をされていませ~ん」「救済法を求めていま~す」。そう訴える河合さん。近くではさまざまな団体や個人が拡声機を大音量にし、それぞれの主張を訴えている。河合さんたちは肉声。声は小さいが、訴えの内容は日本現代史の暗部を照らすものだ。

冒頭でみた怒号男性のように、「空襲被害の補償はアメリカに求めるべき」という主張はままある。筆者は「本来、日本政府とアメリカの双方が補償すべき」と思う。ところが、アメリカへの請求は事実上不可能なのだ。そうしたのは日本政府である。

1951年締結、翌年発効の同条約で、日本と連合国は戦争に伴う補償請求権をお互いに放棄した。だから男性の罵声は的外れなのだ。日本政府のみならず、こうした無知もまた民間人空襲被害者を苦しめている。

全空連の前にも、当然の補償を求める空襲被害者たちは司法のみならず立法府にも動きかけ、70~80年代に「戦時災害援護法案」が14回、社会党など当時の野党により国会に提出された。だが、政府と与党自民党の支援が得られず、すべて廃案になっている。

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