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国は戦争被害者が死ぬのを待っている?戦後補償問題の「厳しい現実」

この悲劇を繰り返さないために…

「アメリカ大使館前でやれ!」

秋晴れの空の下、国会前で怒号が響いた。「アメリカ大使館の前でやれ!」。

10月31日、午後1時前のことだ。60歳代とみえるその男性は叫び続けた。「顔をさらすぞ!」。他にも、活字にはしがたい罵声を続ける。

男性の視線の先には、河合節子さん(80)がいた。74年前の1945年3月10日。米軍による無差別爆撃・東京大空襲で、母親と弟2人を殺された人だ。仲間と共に、国が空襲被害者を救済する法律の制定を求めて活動している。

今、力を入れているのは国会会期中の毎週木曜日、空襲被害の実態と戦後無補償のままでいる事実を伝えるべく、道行く議員らに呼びかける活動だ。

戦時中の防空ずきんに似せた、手作りのずきんをかぶって空襲被害の救済を 訴える河合節子さん(右)=東京・永田町の衆議院第2議員会館前で2019年10月24日

その河合さんに「アメリカ大使館前でやれ!」と、男性は怒鳴り続ける。すぐ近くにいた筆者は、男性の顔をみつめながら迷っていた。「サンフランシスコ講和条約によって、それはできないんですよ。それを知らないとしても、どうして戦争被害者にそんな暴言をぶつけるんですか」。そう言い返そうか、と。

しかし「必ず言い合いになる。その結果、河合さんたちに迷惑が掛かる」と考えているうちに、警備の人が男性を制止して終わった。

 

東京大空襲ではおよそ10万人が殺された。その戦争は当時の為政者たちが選んだ国策であり、国策によって損害を被った国民に、国は相応の補償をする義務がある。1952年の独立回復後、日本政府は元軍人・軍属と遺族に対しては恩給などで累計60兆円に及ぶ援護をしてきた。ところが、民間人に対しては「国と雇用、被雇用の関係がなかった」ことを理由に援護も補償もしなかった。

雇用関係があろうがなかろうが、国策のミスによって被害を受けたという点では同じだ。民間人被害者たちが「差別だ」と思うのは自然だろう。筆者もそう思う。国も差別性を認めたとみえて、実際は民間人にも小出しに補償や援護を拡大してきた経緯もある。