「愛される女性」になれない自分

彼女たちは、穏やかで、清楚で、慈愛に満ちあふれている。一方、私はどうだろうか。

まず、絶対に穏やかではない。情緒が一本下駄を履いている妖怪に近い。おまけにガサツで、ビュッフェでは我先にローストビーフを食らいに行く。大学の卒業式でせっかく着込んだ振り袖を、ものの20分で「自分を歌舞伎役者だと思い込んだ酔っぱらいが大通りを闊歩する北斎画」の様相にしたのも私だ。無論、北斎はそんな頓珍漢な作品を発表してはいない。それくらい、ダイナミックな着付けになってしまったのだ。

そして何より、私は、美人でも可憐でもない。私は、そんな自分に後ろめたさを感じていた。愛される女性」になれなかった自分が、なんとも情けなく思えた。

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「ほら、私って男っぽいから」と笑いながら、腹の底では、シータや女子マネージャーに強烈なコンプレックスを抱えていたのだ。「女性扱いされていいな」「ちやほやされていいな」そんな憧れがあった。

きっかけは1本の記事だった

話は少し変わるけれど、最近、ある出来事を経験した。

2019年7月、私は1本のブログ記事を書いた。「一時間かけてブラジャーを試着したら、黄泉の国から戦士たちが戻ってきた」という、少しギョッとするかもしれないタイトルで、高級ブラジャー店の凄腕フィッティングを体験した感動を綴った。

これが予想外の大反響で、ブログのアクセスは瞬く間に100万PVを記録。FacebookやTwitterなどのSNSでも話題になり、いくつかのニュースサイトでも取り上げられた。

ネット上だけではなく、学生時代の友人、職場の同僚、取引先など、色んな人から「読んだよ!」「面白かったよ!」と、連日声をかけられた。そして、記事の公開から日を追うごとに、寄稿や書籍化の打診まで届くようになった。気まぐれで書いた記事ひとつで、ここまで身のまわりが変わるのかと、心底驚いた。