「雅子さま、懐妊の兆候」

それは、雅子さま36歳の誕生日の翌日、12月10日のことだった。

「雅子さま、懐妊の兆候、近く詳細な検査」

朝日新聞が一面のトップで、そんなスクープを大々的に報じた。

「雅子さまご懐妊!?」

待ちわびていたニュースに、日本中が一気に湧きかえった。その日の午前中には新聞の号外が出され、テレビは皇太子ご夫妻の特番を組んだ。
午後には東宮大夫が会見を開き、「ご懐妊と判断できる段階にはない」と報道を否定したが、世間の興奮と期待は治まらなかった。

妊娠が不確かな状態で情報が漏れ、騒ぎになったことに、陛下と雅子さまは大きなショックを受けたという。そしてこの「ご懐妊騒動」は、やがて最悪の結末を迎えることとなった。

叶わなかった願い

年末も押し迫った12月30日、宮内庁病院で検査を受けられた雅子さまに、こんな残酷な診断が下ったのだ。 

「稽留流産(けいりゅうりゅうざん)」

雅子さまの中に宿った命は、妊娠初期の段階で育たず亡くなってしまい、子宮内に残っている状態だった。

流産の手術処置を受けた雅子さまは、翌日の大晦日にご退院。東宮御所に戻ると、部屋に引きこもられたという。
長い間待ち望み、辛い治療の末にようやく授かった大切な命を失ってしまった雅子さま。初期流産は妊婦の25%が経験する。もともと育つことが叶わない命ではあるとはいえ、その悲しみはどれほどのものだっただろう。 

ご夫妻は、支えあって必死に悲しみを乗り越えようとされた。が、傷心の雅子さまをいたわるどころか、追い打ちをかけるように、周囲は次の妊娠を期待したのだという。

「一度は懐妊できたのだから、またすぐできるだろう」

「とにかく妊娠できるということがわかったのだから、早くお世継ぎを産んで欲しい」

そんな風に思われている「針のむしろ」のような環境の中に、雅子さまはいらしたのだ。この頃、雅子さまの悲しみを真に理解し、寄り添うことのできる存在は、陛下ただひとりだったのかもしれない。 

そして、そんなおふたりにコウノトリが幸せを運んできてくれるのは、まだ少し先のこととなる。