12月1日。内親王愛子さまが18歳の誕生日を迎えられた。聡明で優しげなその姿に、天皇皇后両陛下がいかに慈しみ、人の優しさを教えていらしたかを感じとった人も多かったことだろう。しかし、ここに至るまでに、おふたりは壮絶な「いばらの道」を歩んでこられたのだ。

12月3日発売の「週刊女性」にて、「皇后雅子さま~笑顔輝くまで」の漫画連載が始まった漫画家で小説家の折原みとさんは、連載開始前に資料をよみあさり、過去の動画もみまくっている。仕事、結婚、出産……女性が直面するすべてのことにおいての、「雅子妃の苦悩」には愕然としたという。

愛子内親王の誕生日を超えた今回は、雅子さまが愛子さまを出産されるまでの苦悩をお伝えしていく。

涙を浮かべた出産後の会見

「無事に出産できましたときには、ほっといたしますと同時に、初めて私の胸元に連れてこられる生まれたての子どもの姿を見て、本当に生まれてきてありがとうという気持ちで、いっぱいになりました」

2002年(平成14年)4月2日。前年12月に、待望のお子さまを出産された雅子さまは、出産後初となる会見で、感極まったように声を震わせ、涙を浮かべた。

この日の雅子さまの涙には、万感の想いがこめられていたのだろう。ご成婚からご出産までの8年半の月日は、雅子さまにとって、壮絶ともいえる「いばらの道」だったのだから。

2019年11月9日、天皇陛下御即位をお祝いする国際祭典でも、皇后雅子妃が浮かべていらした涙に感動した人は多かった Photo by Getty Images

「世継ぎについては、自分たちに任せてほしい」

1993年、日本中の祝福を受けて皇太子妃となった雅子さまは、まもなくお世継ぎの重圧に苦しむようになった。ご成婚から3年目になる頃には、子作り優先のために公務も減らされ、海外メディアから「鳥籠の中のプリンセス」と称されるほどに。

周囲からのプレッシャーは日に日に大きくなり、心を痛める雅子さまを守るため、当時皇太子だった陛下は「世継ぎについては、自分たちに任せてほしい」という強いご意思を、宮内庁の幹部らに伝えたと言われている。

そんな陛下の意思は尊重され、ご成婚から4年目を迎えた頃には、厳しい干渉やスケジュール管理がひかえられ、雅子さまのストレスもやわらいだという。

しかしその一方で、宮内庁の中では「お世継ぎに対する自覚が足りない」という批判も高まっていた。しばらくは皇太子の意思を尊重するが、静観するのはご成婚4年いっぱいまで。それが、宮内庁幹部たちの譲れないラインだったのだ。