男性のために脱ぐのではない。仕方なく脱がされるのでもない。自分ために、きれいな私を残すために、自己表現のために脱ぐのだ。もちろんその「自己表現」は視られる身体としての女性というジェンダーの非対称性を孕んでいた。だが、宮沢りえのさわやかなヌードは、女性たちのヌードに対する抵抗感、負のイメージを完全に払拭したのだった。

女性たちは追随するようにファッション誌でヌードになった。翌92年に、『アンアン』が篠山紀信撮影による読者ヌードを募集したのである。「きれいな裸」と題された特集では、数千人の応募者の中から選ばれた18人の読者モデルたちが少しぎこちなくポーズを決めていた。もちろん表紙を飾ったのも、一般女性の「きれいな裸」だった。

90年代の「セルフヌード・ブーム」も後押し

女性向けメディアで女性たちが自らの意志でヌードになる。それは、男性ではなく、女性たちに向けた自己表現としてのヌードであった。この頃から、女性たちの間に身体を視られるのではなく、「魅せる」という感覚が芽生えてくる

さらに90年代の半ばになると、女性たちは自らのヌードを自分でも撮るようになる。セルフヌードを自己表現として発表し始めるのだ。ちょうどこの頃台頭してきた蜷川実花や長島有里枝といった女子写真家たちの初期の題材として選ばれたのもセルフヌードだった。

『Self-image』(蜷川実花/マッチアンドカンパニー)

女子写真家たちは、自己表現のために戦略的にヌードを使った。それは、視る/視られるというジェンダーの関係を揺さぶり、やがて「魅せる」ことに転化していく。女性たちは魅せることによって、むしろ相手の視線を支配するのだ。しだいに、視る者と視られる者の立場が逆転していくのである。