「追放」されていた講談社社長が、会社に復帰するまでの壮絶な道のり

大衆は神である(78)
魚住 昭 プロフィール

復帰反対の底流

それを察し、敗戦前から省一とともに講談社の改革を話し合っていた萱原宏一や田村年雄、茂木茂らが、迎えに来るのを待っていたのではいつになるかわからないから、積極的に社長として復帰する行動を起こすべきだと勧めた。

24年に入ると、省一のほうから、復帰することを講談社のほうに伝えた。これについては従業員組合で執行委員会を開いたが、時期尚早として反対を決議した。組合がひそかに尾張ら役員たちの考えを聞くと、役員たちもみな時期尚早として反対の意向だった。

 

『野間省一伝』は省一の社長復帰に反対した者たちの心理を次のように解説している。

〈(かつて清治を神のように尊敬した少年部出身社員も)一度自由の空気にふれたものは、戦前とはすっかり意識が変っていた。その人たちには、野間邸の大きな邸の廊下を空拭きし、肥桶をかついで野菜作りをしていた印象が残っていて、省一の復帰によって、社長を旦那様、社長邸をお邸と呼んでいた野間商店のような昔の講談社に後戻りするのではないかと危惧したのだ。

省一の社長復帰に反対しても、省一個人に悪意を持つわけではなかった。ただ社員の大半が清治の郷里の上州出身で、社で何かを催す時には必ず八木節を、うたい、踊り、八木節が講談社の社歌のようであったから、強い郷土意識によって、恒と兄弟のように育てられていた寅雄が恒なきあとの野間家を継ぐのは当然と考えるものもあり、予期せぬ人の野間家相続に異和感を持つものもあった。そういうことも省一の社長復帰反対の底流にあった。

少年部出身以外の社員においても、折角おし進めて来た講談社の民主化を、これからも一層前進させ、近代化をはかろうとしているのに、社長復帰によって台無しにされてしまうと考えるものも少なくなかった。資本と経営を分離すべしという考え方も強かったのである〉

傍系会社と外部人脈に食いものにされてはかなわない

省一の復帰反対の理由はそれだけではない。いや、どちらかといえば、こっちのほうがメインだと考えられる理由があと二つある。

それについては当初、「秘中の秘だ」と言って、語りたがらなかった尾張が、結局は笛木の巧みな誘導に乗って話し出している。