「追放」されていた講談社社長が、会社に復帰するまでの壮絶な道のり

大衆は神である(78)
魚住 昭 プロフィール

『宮本武蔵』出版をめぐるトラブル

そうこうするうち、講談社が「物心両面相当の深傷(ふかで)」(講談社五十年史)を負うことになる事件が起きた。昭和23年秋から表面化した吉川英治の代表作『宮本武蔵』出版をめぐるトラブルである。

尾張真之介は、のちの昭和30年(1955)、講談社五十年史の取材を進める笛木悌治に当時の模様を訊かれ、こう語っている。

〈尾張 「宮本武蔵」と社長就任のいきさつはちょっとどうも困るんだよ。秘中の秘だ。現社長就任の事情は苦しんだね。僕は本当に苦しんだね。この点はどうも少し困るんだがね……。

笛木 お察ししますよ。「宮本武蔵」問題は一応真相をお願いしておきましょう。

尾張 これにはね、その当時のいろいろな日記も家にあるし、(吉川英治側と)取り交わした文書なんかあるんですが、これがあとに残っていいかどうかわからないからね。その話の概略だけ申しましょうね。

笛木 そうですね〉

『宮本武蔵』はもともと戦前の朝日新聞に連載された吉川英治の大ヒット小説である。それを講談社が昭和11年から全6巻で逐次刊行し、昭和14年からは全8巻の普及廉価版として発売した。いずれも圧倒的な売れゆきを示したことは言うまでもない。

 

〈尾張 「宮本武蔵」は、朝日新聞が本を出すというのをすったもんだして講談社が出すことになり、好評好評で、講談社もあれではずいぶん儲けてね、ずっとやってきたんだが、それが、問題を起こす前後の頃(昭和23年秋ごろ)から、吉川氏に検印(書籍の奥付に著者が押す印)をもらいに行っても、どうも渋って印を押さなかったりして変だと思っていた。

ところが突然、吉川さんの弟が経営参加している六興出版が「宮本武蔵」を出すという噂を聞いたんです。出すと言っても、版権の問題もあって、こっちに連絡もなしで出すのはおかしい……といっていたところに、吉川氏の夫人が突然やってきて「実は『宮本武蔵』は六興出版で出すことになっております。どうぞよろしく」と言う。そこで僕は憤慨した。よろしくといってもこっちは寝耳に水だ。僕は憤然として「よし、そうならこっちで新しいやつをガンガン刷って、あっちが出す一歩前に出してやる」というので、十万部でしたか、昼夜兼行で刷らせた〉