「追放」されていた講談社社長が、会社に復帰するまでの壮絶な道のり

大衆は神である(78)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業家・野間家が歩んできた激動の日々と、日本出版界の知られざる歴史を描き出す大河連載「大衆は神である」。

戦後、戦争責任を追及され、社長を辞していた野間省一。「公職追放」が終わればすんなり社長に復帰できると思われていたが、実はそう話は簡単ではなかった。少なくない社員たちが復帰をよしとしなかったのである。ウラにはこんな事情があった——。

第八章 再生──省一体制へ(1)

社史中の暗黒時代

野間省一が講談社の社長に復帰するまでの経緯をもう少し説明しておきたい。

自由出版協会の理事長(昭和22年11月、会長に昇格)だった木村毅によると、省一が「Pending Case(公職追放の仮指定)になっていた時代の二、三年の講談社は、心臓をぬかれたようなもので、じつに不安そうだった。社史中の暗黒時代だった」という註1

たしかに、この間の講談社の業績は低迷している。かつて100万部を誇った国民雑誌『キング』の発行部数は昭和23年9月号で約8万部にまで落ち込んでいる。翌年新年号では約20万部発行して実売18万〜19万部と少し持ち直したが、その後またジリ貧状態になり、約15万部刷って実売が7万〜9万部というありさまだった。

 

『婦人倶楽部』の売れゆきも振るわない。戦前・戦中は『主婦之友』と婦人誌界の覇を競い合って100万部近くを発行していたのが、戦後続々と誕生した競争誌に読者を奪われた。昭和23年10月号の『婦人倶楽部』は約50万部発行して、半分しか売れなかった。

その他の『少年クラブ』『少女クラブ』『幼年クラブ』(いずれも昭和21年の4月号から「倶楽部」を「クラブ」にあらためた)のデータは秘蔵資料にも見つからない。

ただ、当時『婦人倶楽部』の発行部数(約50万部)は「講談社全雑誌の約半分を占めていた」(講談社五十年史)というから、社全体で約100万部、そこから『婦人倶楽部』『キング』(約15万部)や『群像』の分を差し引くと、『少年倶楽部』など3誌の合計発行部数は30万部前後と推定される。実売率7割として1誌あたりの実売は数万部。戦前・戦中の10分の1である。