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中曽根康弘、死去…「風見鶏」でも令和の政治家とは「格」が違った

その明暗を振り返る

安倍政権の「改憲」との違い

中曽根康弘元総理が11月29日午前に亡くなった。101歳のまさに「大往生」だった。

中曽根は1947年に28歳で衆議院議員に初当選すると、そこから連続20回もの当選を果たした。在職年数は実に56年と、「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄の62年に次ぐ。驚異的な記録である。

中曽根が生涯、実現に向けて最も力を注いだことの一つが「憲法改正」であったのはつとに知られる。戦後日本の平和の中にあって、生涯にわたりこのポリシーを崩さなかったことから「改憲派の最右翼」「自民党内でも強硬なタカ派」というイメージが強かった中曽根。しかし、その主張をつぶさに見ると、現在の改憲論者とはやや趣が異なる。

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生前の中曽根に取材し、『戦争を知っている最後の政治家 中曽根康弘の言葉』の著書もあるジャーナリストの鈴木哲夫氏はこう語る。

「彼が語る改憲論には、必ず『国民が全員でしっかり議論して』という枕詞がついていた。現在の改憲論議は、与党を見ても野党を見ても、永田町内部での政争の具だとしか考えていないように思えます。そうした次元ではなく、『憲法は国民のものなんだ』という大前提を決して崩さず、その上で改憲を唱えていたのが、中曽根さんの改憲論の特徴です」

 

奇しくも、中曽根が亡くなる前日28日には衆議院で憲法審査会が開かれ、自由討議が行われていた。しかし、自民党内で「反安倍」と目される元幹事長の石破茂は、前回に続けて発言の機会を得られなかった。審査会会長の佐藤勉が、党と見解を異にする石破を意図的に指名しなかったのは明らかで、石破は散会後に怒りをあらわにした。