堂々たるフランス人の婚外セックス

おたがいに愛し合っていると自他共に認めながらも、降ってきたチャンスを無駄にしない夫や妻たちがいる。夫を愛していると神に誓いながらも、妻を愛していると神に誓いながらも、平然と妻以外、夫以外の異性とセックスを重ねる。そんなケースがときとして起きるのが、子供の学校のPTAなのだから驚きというか、フランスらしい。

いつもは仲睦まじい夫婦でいながら、平然と子供の親友のママとお付き合いをしている夫がいる。または、いつもは敬虔なクリスチャンですとでもいいたげな母親が、よりにもよって子供の友達のパパと逢瀬を重ねる。

あたかも映画の世界のようにフランスらしいが、この場合に交わるのはあくまでもカラダで、心ではない。彼ら彼女たちの真実の「愛」についての優先順位は、子供の母親や父親。つまり彼ら彼女たちの真実の「愛」の相手が彼ら彼女たちの夫であり妻だということに揺るぎないからだ。

そのためには妻子のいる夫のセックスの相手は平和な家庭のマダムで、子供をきちんと育てている母親である必要がある。同じように夫子供のいる妻のセックスの相手も平和な家庭のダンナで、子供を立派に育てている父親である必要がある。おたがいの身の安全をいうなら、子供同士が同じ学校に通っているということ以上の保証はない。

互いにきちんと守りたい家庭がある同士だからこそ「身体だけの付き合い」がキッパリできるというわけか…そこに危うさもあるけれど Photo by iSotck

だから私はあえて精神と肉体の分離派として、元気な彼らを眺めているのである。平和裏に進むこの手の婚外セックスについては、私たち日本人では太刀打ちできそうもない。恋愛には相当なエネルギーがいる。肉体も精神も、ともにフランス人ほど逞しくはないからなのではないかと、なん組もの純粋不倫の現場を目撃しながら私は思ったのである。

この世の中を再認識するという意味では、肉体と精神の分離愛もアリではないだろうか。私たちも今一度、パートナーとの愛について、真剣に考え直す時期にきていると思う。

もしかしたら、あなたがとっくに醒めてしまったと思っているあなたとあなたの夫は、信頼関係を築くに十分すぎる愛に満ちた関係を保っているかもしれない

恥ずかしがり屋の私たちだから、フランス人のように愛しているという言葉を相手にいえないだけなのかもしれない。フランス人の専売特許になっている愛という言葉は私たち日本人にとっても、この世で一番大切なものにちがいないから。もちろん愛でも、キリストの無償の愛なんかではなくアムール。セックスが潤滑油になるような、大人の男女の愛である。