現代の日本の親は、子育てを頑張りすぎるくらい頑張っている

「揺さぶられっ子症候群」裁判から考える
広井 多鶴子, 柳原 三佳 プロフィール

通報された「虐待」を分析すると……

柳原 子どもが亡くなったケースは、これほど減少しているのですね。これらのデータから、虐待の発生件数が減少していると考えていいのでしょうか。

広井 児童虐待が実際どれだけ発生しているかは誰にも分かりません。ですが、死亡児童数がこれだけ減少しているのですから、私としては減少しているとしか考えられません。

もっとも、死に至るほどの虐待は減っているが、そこまでいかない虐待は増えていると言う専門家もいます。可能性としては否定できませんが、そう言える根拠を示すことは難しいと思います。虐待の概念が大きく変わっているからです。増えていると考えている人は、今の虐待概念で今の時代を見ているからだと思います。ですが、それでは歴史的変化を証明することはできません。

 

柳原 虐待の概念はどう変わってきたのですか。

広井 児童虐待が社会問題となる1990年代以前は、殺人も遺棄(捨て子)も心中も児童虐待ではありませんでした。もちろん、心理的虐待や性的虐待といった言葉はありません。このことは、厚生省(当時)が1973年に初めて行った全国調査「児童の虐待、遺棄、殺害事件に関する調査」を見るとよく分かります(3歳未満対象)。

この調査では、殺害が年間51件、殺害遺棄が135件、計186件もある一方で、虐待はわずか26件でした。虐待は、「暴行等身体的危害、長時間の絶食、拘禁等、生命に危険を及ぼすような行為」に限定されていたからです。

図3:厚生省「児童の虐待、遺棄、殺害事件に関する調査」1973年(3歳未満対象)

広井 それから、今は心中を含め、親が子どもを殺害すれば虐待と見なされますが、かつては子殺しの動機や背景などから虐待かどうか分類されていました。子殺しの一部として虐待死があったのです。その意味では、今は非常に単純化していると思います。

分類は原因を把握して問題を解決するためのものです。何でも虐待死と見るのは事の重大性を社会に訴え、親の責任を喚起するためだと思いますが、それで問題の解決につながるかどうか疑問です。心中や出産当日の殺害と虐待では理由も背景も防止対策も違いますから。