前田茂。元海軍大尉、戦後は弁護士となった(右写真撮影/神立尚紀)

地獄の戦場「墓島」から生還した男が語った「日本国憲法への思い」

戦死者の約8割が病死か餓死…

11月20日、安倍晋三総理の在任期間が、史上最長記録を更新した。その功罪はここでは論じないが、自民党政権が一貫して目指している憲法改正が実現するか否かが、今後の焦点のひとつとなるのは間違いないだろう。

憲法といえども、人が作るものである以上、時代に即して見直すことは論じられてよい。各種世論調査の結果を見ると、改憲賛成と反対の意見は概ね拮抗していて、これからさらに活発な意見が交わされることだろう。

 

ただ、日本人の大半(総務省統計局の人口推計によると2018年10月1日時点で83.6パーセント)が戦後生まれとなったいま、戦争の惨禍をじかに体験した世代の声をそこに反映することはむずかしい。

筆者の神立さんは、過去25年間、数百名におよぶ戦争体験者にインタビューを重ねてきたが、ごく大まかに言って、戦場で戦った経験のある明治、大正生まれの旧軍人の多くは改憲(特に九条)に賛成、銃後(民間)で支えた人の多くは反対の考えを持っていたという。その人の置かれた立場や体験によって見方が変わるのは当然のこと。しかし、旧軍人でも、極限の戦場から生還した人のなかからは、現行の日本国憲法を高く評価する意見が聞かれたことも事実である。

敗戦とともに、旧軍人340万人が失業者に

昭和20(1945)年、敗戦を境に、日本人は価値観の一大転機を迎えた。一般市民はもとより、それまで「国のために戦う」以外の選択肢を持たなかった陸海軍将兵の全てが、新たな価値観のもと、否応なしに第二の人生を歩まされることとなった。昭和20年大晦日の朝日新聞の記事によると、旧軍人の失業者は、陸軍290万人、海軍50万人の合計340万人に達していたという。

戦時中、海軍士官としてソロモン諸島の極限の戦場で戦い、戦後は弁護士となって東京・愛宕山で弁護士事務所を開業していた前田茂(1920-2010)も、そんな戦後の人生の選択を迫られた、数多くの将兵のなかの一人だった。

「大正に生まれ、昭和に戦いし若人は、平成に八十路を歩む。思えば波乱に満ち、起伏に富んだ人生を、私たちみんなが歩んできた。運命であったかもしれません。しかしながらその犠牲は、あまりに大きく残酷でした……」

前田は、大正9(1920)年、静岡県生まれ。幼い頃に父親を亡くし、母親に女手ひとつで育てられた。中学校まで出してくれた母を早く楽にさせたいとの思いと、遠洋航海などで海外にも行かれるかもしれないという期待から、県立榛原中学校5年生のとき、官費で学べる海軍兵学校を志願。昭和13(1938)年、六十九期生として入校し、海軍の正規将校への道を歩んだ。

兵学校生徒の頃。母(右)、姉(左)と