12月10日 湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を授賞(1949年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

理論物理学者の湯川秀樹(ゆかわ・ひでき、1907-1981)が、日本人ではじめてのノーベル物理学賞を受賞したのは1949年のことでした。そして、アルフレッド・H・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel[スウェーデン語]、1833年-1896年)の命日であるこの日、授賞式において授与されました。

 

湯川は1935年に、核力とβ崩壊を媒介する場の量子として中間子の存在を予言しました。1947年にイギリスの物理学者セシル・F・パウエル(Cecil Frank Powell、1903-1969)によって中間子の存在が実証され、1949年のノーベル賞受賞につながりました。

 関連の日:11月17日 湯川秀樹が中間子仮説を発表(1934年)

【写真】スウェーデン王子よりメダルを授与される湯川
  スウェーデン王室のアドルフ王子(当時、後の国王グスタフ6世)よりメダルを授与される湯川 photo by gettyimages

このニュースは、敗戦・占領下で自信喪失状態にあった日本国民に大きな力を与えました。

この後、多数の日本人、日本出身者がノーベル賞を受賞しました。2019年は吉野彰さんがリチウムイオン二次電池の開発に対して贈られています。

湯川は、1947年に非局所場の理論を提唱するなど、その後も数々の業績を残しました。最近の研究によって、湯川が戦時中に海軍を中心とする原爆開発プロジェクト(F研究)に、京大グループの一員として参加し、戦後に占領軍から事情を聴かれていることなどが明らかになっていますが、戦後は反核の立場を掲げ、積極的に活動しています。

【写真】京都帝大の物理学関連の研究施設
  京都帝大の物理学関連の研究施設を撮影した写真 photoby gettyimages

 関連の日:7月 9日 ラッセル-アインシュタイン声明(1955年)

また、正力松太郎が委員長として主導する原子力委員に参加の要請を受けますが、正力のやや強引な実用導入に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発し、委員になったものの在任1年3ヵ月で辞任してしまいました。

優れた業績を残した湯川の行動を振り返ると、私たち現代人と科学のあり方というものを考えさせられます。