ネットを支配する「シニシズム」「冷笑主義」という魔物の正体

ネットの論争が散々な結果に終わる理由
津田 正太郎 プロフィール

マスメディアとシニシズム

もっとも、シニシズムは決してネットユーザーの専売特許ではない。むしろ、シニカルな言論はマスメディア、なかでも週刊誌メディアの得意としてきたところだ。週刊誌のなかでもとりわけキツい見出しの記事を載せることの多い『週刊新潮』の場合、1956年2月の創刊から40年以上にわたって同誌に多大な影響を及ぼしたと言われる斎藤十一は、以下のような発言を残している。

うち(『週刊新潮』:引用者)の基本姿勢は、“俗物主義”でした。人間という存在自体がそうでしょう。どのように聖人ぶっていても、一枚めくれば金、女…それが人間なのですよ。だから、そういう“人間”を扱った週刊誌を作ろう…あっさりいえばただそれだけでした6

報道対象となった人間のなかに生々しい欲望をつねに見出そうとするこうしたスタイルが、きわめてシニカルな色彩を帯びることは明らかだろう。

 

さらに、ここまで極端ではなかったとしても、政治報道において政治家や官僚の言動が私的利益の追求としてのみ解釈される事例は枚挙に暇がない。心のなかはのぞけない以上、そうした動機の解釈はあくまで記者の憶測でしかない。ところが、客観性を重んじるはずのメディアにあっても、そのような解釈がそのまま「事実」として報道されることが起きる。

政治コミュニケーション研究では、マスメディアのそうした報道スタイルが有権者のあいだに政治へのシニシズムを育んでいると指摘されることがある7。より具体的には、選挙報道が個々の候補者の政策や争点にではなく、選挙に勝利するための戦略にフォーカスを当てる結果、政治家とは何らかの政策を実現しようとする人びとではなく、選挙に勝って甘い汁を吸いたいだけの連中だという印象を有権者に植えつけている可能性があるというのだ。

〔PHOTO〕iStock

もちろん、政治家の言動の背後に隠された私的利益を暴露することはジャーナリズムの重要な役割だし、それ自体は否定されるべきではない。監視のない政治体制はどうしても自己の権益を優先しがちになる。しかし、政治家や官僚は「甘い汁を吸いたいだけの連中」だと決めつけてしまうと、怪しい陰謀論の世界に踏み込むことにもなりかねない。