過呼吸の発作が

実は、恵美さんの一番つらい時間は、ここから始まる
「産んで、抱っこしたらとても可愛かったんです」

中期中絶は、日本では子どもを見せない病院もあるが、恵美さんは見ることもできたし、抱いて一緒に写真を撮ることもできた。小さな遺体を荼毘に付す時も、夫婦で火葬場に行って赤ちゃんが煙になって空に昇るのを見守った。
恵美さんは、十分にお別れをすることができたのだ。

でも、あの可愛かった子どもがもういないつらさ、そして、自分が決断してそうしたのだという罪悪の念は、出産後の恵美さんに情け容赦なく襲い掛かってきた。

「つらくて心理カウンセリングに行きたいと思ったんですが、どこに行ったらいいのかわからないんです。でも、毎日、朝から晩までつらくて……夫も仕事で帰りが遅く、夜、ひとりで家にいると過呼吸の発作が起きてくるので、家中の窓を開け放って冷気の中で必死に息をしていました。夜も一晩中、寝ているのか寝ていないのかわからないような状態が続いて朝を迎えるんです」

食べることも、それまで「お腹の赤ちゃんにいいものを食べよう」と心がけていた恵美さんにとっては、もう意味がないことに思われたし、子どもはもう何を食べられないし、それは自分のせいだと思うと自分だけが食べるなんて許されないような気もした。

周りの人には、妊娠を自ら終結させたことをありのままに話した。誰かに責めて欲しかったのだ。ところが実際はほとんどの人に慰められ、それが、また苦しかった。

自分を責める日々

つらくてどうしようもなかった恵美さんは、ある時、死産をした母親が集まって気持ちを話し合う「お話会」があることを知って、わらをもすがる気持ちで参加してみた。でも、予想されたことだが、そこには「人工死産」をした人は誰もいなかった。参加していた誰もが経緯の違う自分を受け容れてくれ、優しかったにもかかわらず、恵美さんは「私はここに来てはいけなかったんだ」という強い疎外感を抱えて帰宅することになった。

ひどく孤独だった。

テレビをつけるとニュース番組が「新型出生前診断を受けて陽性だった人の9割は人工妊娠中絶」と報じていることもあった。

(一体本当だろうか? 実はみんな、告知を受けてもちゃんと産んでいるのに、みんなニュースに騙されているのではないかしら)

恵美さんには、そんな考えが浮かんでしかたがなかった。「この広い世界の中で、こんな残酷な決断を下したのは私だけなんだ」と。

恵美さんは、法律で定められている中期中絶後の産後休暇も十分に取得させてもらえず、中絶手術の10日後には出社せざるを得なかった。もはや、恵美さんにとって仕事とは、朝になったら何とか自分の机までたどり着いて、涙をこらえているだけでやっとだった。上司には中絶の話をしてあったが、防げるはずの初歩的なミスをしてしまうなど、周囲にも迷惑をかけてしまう日々が続いた。