連続敬遠……。社会問題にまで発展するほど、人々に影響を与えた“伝説の甲子園”から27年。あの時、1人の高校球児として松井秀喜氏はどのような思いでグラウンドに立ち、甲子園を見つめていたのだろうか。

前回、甲子園初出場時の悔しい思いから「練習の鬼」となり努力を重ね続けたエピソードを、幼少期から読売ジャイアンツに入団するまでの道のりが綴られた講談社文庫『ひでさん〈松井秀喜ができたわけ〉』より抜粋掲載し紹介した。

今回は、「5打席連続敬遠」という異例の試合展開に対して当時の松井氏が感じていたことや、メディアには見せなかった「真の思い」を、本書より抜粋し紹介しようと思う。

「ゴジラ松井」の愛称で親しまれるようになった意外なきっかけとは? 長嶋茂雄氏が甲子園での松井氏の活躍を見て抱いた「ある野望」も、あわせてお届けしていく。

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「ゴジラ松井」誕生!

秋の北信越大会と明治神宮大会と立て続けに優勝。春の甲子園への出場を決めた。今のチームになって公式戦は負けなしという強さだった。

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大阪日刊スポーツ、アマチュアスポーツ担当記者の赤星美佐子は秀喜が星稜高校1年の時から取材を続けている。高校生離れしたパワーに目を奪われていた。予選も含め、秀喜の活躍を追い続けた。そして噛み合わせのいい歯に注目していた。秀喜が無意識に口を開けた時にちらりと覗く白い歯。掛け声で大きく口を開けた時に見える歯並びの良い歯。

――あの歯でぐっと食いしばって、あのパワーが出るんだわ。

力強く大きな体に綺麗な歯。そして、バットを持って構えた時のしっかりした下半身。

――パワーがあって愛らしいゴジラに似ている。

赤星は練習が行われている西宮球場にいた。じっと秀喜を見つめる。その時、秀喜がライトスタンドに豪快なホームランを打った。その秀喜の凄さを翌日の記事にした。

「ゴジラが火を噴いた」 

春の甲子園大会目前の3月中旬、東宝撮影所で映画『ゴジラvs.キングギドラ』に使用するゴジラのぬいぐるみが盗難にあうという事件があり、社会問題になっていたために、

「ゴジラが甲子園に現れる!」

と野球ファンだけに止まらず映画ファンまでもが興味をそそられるタイムリーなニックネームとなった。

こうして「北陸の怪童松井」は「ゴジラ松井」と呼ばれるようになったのだ。

秀喜は、
「どうして。怪獣でしょ。そんなに怖い顔をしているのかな」
と戸惑うばかりだった。