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# 歴史

「女性活躍」を「女性抑圧」にしないために、歴史から学べること

からゆきさん、「パンパン」…

「女性活躍」と「女性抑圧」

ここ数年の女子大生を対象とした意識調査では、将来は専業主婦を望む女性が多数を占めているという。しかし、その大半は家事・育児に専念する良妻賢母を志向しているわけではなく、安定とゆとりある生活をしたいという消極的な理由に拠るもので、景気に左右されている感が否めない。もっとも、現実問題として夫の年収だけで妻子を養える男性などほんの一握りにすぎないが。

そんな現実とのギャップはともあれ、最近もてはやされている「女性活躍」という言葉は、従来の日本社会に女性が活躍できる余地も機会もなかったかのような響きを伴っている。昭和60年(1985)に男女雇用機会均等法が施行され、同じ学歴、年齢、職場、業務内容で男女間に賃金格差があってはいけないということになっているが、たしかに現実は法律の理念通りになっているとは言いがたいのが現実だ。

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しかし、日本における女性の社会的地位は、時代により大きく波打ってきたというのが実際で、一貫して女性が社会で活躍していなかったわけでは決してない。「女性は家に入るもの」という「伝統」は、ある意味で創られたものにほかならない。

また、「活躍」とは違うが、近代の日本社会は、女性の多大なる苦労と苦難によって下支えされてきた部分がある。これから女性の活躍を促進していくにあたって、過去と同じ「抑圧」を繰り返さないためにも——「女性活躍」を「女性抑圧」にしないためにも——その実相をよく知っておく必要があるだろう。