10代を対象にした性的被害のニュースが後を絶たない。しかし、そんなニュースがあがるたびにSNSでは、被害者を責める書き込みも多い。悪いのは、加害者側であるはずなのに、なぜか被害者側が責められるという図式は、根強い。

なぜ被害者の方が“恥”と扱われつづけるのか? 現在スウェーデンでセクソロジーを学ぶ「#なんでないの」プロジェクト代表の福田和子さんとともに考えたい。

ネットに裸の画像を掲載した11歳の女の子の出来事

「11才の女の子が、ネットで自分の裸の写真を投稿している」

ある日、トンミ氏にこんな話が舞い込んできた。トンミ氏は、フィンランドで性教育の拡充や性教育者の育成において大きな団体のひとつ・セクスポ財団の代表で、私が師と仰ぐひとりでもある。

11歳の女の子が自分の裸の写真をネットに投稿したところ、「綺麗!」「もっと見たい!」と大人たちが群がった。その盛り上がりを見て嬉しくなった彼女は、その後も投稿を続けていた。このケースを聞いて、あなたはどう思うだろう? もしも自分の娘なら、娘の友人なら、どんな言葉をかけるだろうか?

「やめなさい!」
「なんでそんなことしたの!」
「なんて馬鹿なことを!!」

そんな言葉が思わず口をつく人もいるかもしれない。中にはスマホ没収や、インターネット利用制限が有効と感じる人もいるかもしれない。しかしここには大きな落とし穴がある。トンミ氏によれば、罰を与えることには主に2つの悪影響がある。ひとつは、子供があなたにはもう何も相談しなくなること。もうひとつは、自分自身の体や性、セクシュアリティは語るべきでない、恥ずべきものと認識させてしまうことだ。

「ただ叱ったり罰を与えたりするのではなく、どんな状況にある子供に対しても、その状況を教育のチャンスに変え、いかにサポートし、その上でリスクから守っていけるか、その力を身につけてもらえるかです。罰することはそのどれにも寄与しないのです」と彼はいう。

ヘルシンキで行われた『セクスポ50周年記念』で登壇する代表のトンミ氏 写真/福田和子