『宇崎ちゃん』ポスターは「女性のモノ化」だったのか?

「性的対象物」という問いを考える
江口 聡 プロフィール

『宇崎ちゃん』ポスターを見る人が、その構図や姿勢、身体の描かれ方に違和感をもつかどうかは、おそらく、現代のアニメ・マンガで使われる構図や絵柄や彩色方法などにどれくらい慣れているかにも関係するだろう。

私が担当する授業などで女子大学生たちに聞いてみたところでは、「ふつうの絵だ」という意見の方がかなり多かったが、「胸を強調しすぎていて不快だ」という声も少数ある、といったところだった。

 

ポスターそのものよりも…

第三に、現在私たちがWebを見たり、スマートフォンのアプリを使用したりするときには、明らかに性的なコンテンツやゲームの広告が、時には頻繁に表示されることがある。そうしたしつこい性的な広告を不快に思う人は多いはずだし、私自身も不快である。

そうした性的コンテンツの広告には、『宇崎ちゃん』と同じタイプの色彩や描画方法をとったものも多く、『宇崎ちゃん』という作品を知らずにポスターを見た人々が、そうした性的コンテンツの不快や脅威を連想してしまうのも無理はない。

ネット上では、女性を利用した性的な図画を目にする機会は多いし、また露骨で女性差別的な発言やそれに関連した攻撃的な発言もいやおうなく流れてくる。こうしたもの全体が、特に女性にとって脅威と感じられるのももっともであろう。

そうした女性の不快や脅威の感覚にまったく配慮しないことは、まさに女性たちのものの見方や感情を無視するという点で「モノ化」であり性差別である、ということがありえる。

こうして考えると、「女性差別がわかっていない」として牟田氏が指摘したかったのは、おそらく、『宇崎ちゃん』ポスターそのものが単体で性差別的であるというよりも、むしろポスターに不快を感じる(主に)女性たちの観点や感情が軽視・無視されてしまうことについての、社会的な無理解や無関心こそが問題である、ということのように思われる。

一般に、女性が子供のころからさまざまな形で外見を評価されたり、意志に反した性的な扱いをされたりする危険にさられていることは言うまでもない。こうしたフラストレーションや不快な経験が積み重なった結果として、一部の人々にとっては愉快で魅力的に映る『宇崎ちゃん』ポスターが、女性の間では不快なものとして映ったのだと言えるだろう。