実は、堂々たる“舞台人”である。今年の舞台出演作は3本。春には、気鋭の若手演出家である根本宗子さんが作・演出した『クラッシャー女中』に、初夏は新国立劇場で上演された翻訳劇『オレステイア』に出演。3本目の『風博士』は、シス・カンパニーがシリーズ化している「日本文学シアター」の第6弾だ。昨年、主演した映画『生きてるだけで、愛。』で数々の映画賞も受賞し、映像でもますます存在感を発揮している趣里さん。17歳のとき、大きな挫折を経験し、芝居と出会うことで再生した。芝居を通して、様々な役柄を演じながら、いろんな人がいる世の中を面白がる。

4歳からバレエを始めて、
17歳で奪われた“生きがい”

撮影/岸本絢

趣里/1990年9月21日生まれ。東京都出身。2011年に女優デビュー。16年、連続テレビ小説『とと姉ちゃん』に出演。ドラマ『リバース』(17年)、『ブラックペアン』(18年)などで鮮烈な印象を残す。昨年主演した映画『生きてるだけで、愛。』で、高崎映画祭の最優秀主演女優賞、おおさかシネマフェスティバル主演女優賞、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。特に舞台では、翻訳劇や小劇場系の喜劇など様々なジャンルに挑戦。若手の気鋭演出家から巨匠まで、様々な演出家とタッグを組んでいる。現在、ドラマ『モトカレマニア』に出演中。

修練を積むことで、それまでできなかったことができるようになる。課題を一つクリアすると、また次の目標が見つかって、不安を覚えながらも未来の自分にワクワクする――。4歳でクラシックバレエを習い始めた趣里さんにとって、バレエは、毎日の活力そのものだった。

「一緒にバレエを習わない?」と、同じ幼稚園に通う友達から誘われたのは、4歳のときだ。最初は、軽い気持ちで初めてみたが、レッスンを重ねるうちに、やればやっただけ基礎が身につくこと。努力した分だけ、体が動くようになることが楽しかった。

「毎年、クリスマスの時期になると、『くるみ割り人形』が上演されて、それにはバレエ団の生徒たちも出演できるんです。小学校低学年で、ネズミの役でステージに立つことになったとき、すぐ近くで先輩たちが素敵に踊っているのを見て、『あんな風になりたい!』って猛烈に憧れました。レッスンが終わると、家では、バレエのビデオ……当時はまだDVDじゃなくてVHSのビデオテープだったんですが、それを擦り切れるまで観たり……。とにかく、頭の中はバレエのことでいっぱいでした」

特に人前に出ることが好きなわけでもない、静かな子どもだった。でも、こうと決めたことには一途だったのだろう。中学に入ると、「せっかくやるからには、高みを目指したい。海外で、もっと本格的にバレエを習いたい」と考えるようになる。思春期を迎え、横並び重視の日本で暮らすことに、息苦しさを感じていたことも影響していたかもしれない。海外のバレエ学校のオーディションを受け、単身イギリスに渡ったのは、中学を卒業して間もない、15歳のときだった。

「家族が私のやりたいことに理解を示してくれたことは、すごく恵まれていたなと思います。ずっと憧れていたヨーロッパで、大好きなバレエにどっぷり浸かれることは幸せでした。やるべきことは山ほどあったし、刺激をくれる人たちに囲まれて、寂しさを感じている暇もなかった」

でも、たった一回のジャンプの失敗が、彼女のバレエ人生を狂わせた

「ずっと、人一倍頑張らないといけないと感じて、いろいろ無理していた部分があったんだと思います。ちょっと気が緩んだとき、ジャンプの着地に失敗してしまいました。日本のお医者さまにも診ていただいたら、『元のようには踊れないかもしれない』『感覚は元に戻らない』と言われてしまって……。

そのときは、もう2年イギリスにいたのですが…………何というか……絶望しました。日本でバレエを続けることもできたけれど、それは、私がずっと目指していたバレエじゃない。そのときは、大袈裟じゃなく、すべてを失った気持ちになり絶望感でいっぱいでした」