育児とは「お手伝い」なのか

自発的に楽しいから子育てをしているとかいうケースも、ないわけではないが割合としては10人に1人くらいだ。

この、姿勢こそ育児の場において、女性たちの神経を逆なでする要因である。だいたいのお母さんは、
はぁぁ!? お手伝い? 主体性がねえんだよ! 子育ては率先してやるべきことなんだよ! 自分で動けよ! なんで動かねえんだよ! おまえらエヴァンゲリオンですか!?
と思っている。

とにもかくにも、お母さんたちがムカついているのは「お父さんたちの育児に対するお手伝い感覚」であり、「無駄に母親ファースト」な状況なのである。

ぼくはかつて子供が1歳くらいの頃、ワンオペをしていたが、それももはや過去のこと。最近では妻に「なぜあなたはいつもお手伝い感覚なのか」と言われることが多い。母親にとって育児は当事者であって、子供が生まれてから24時間ずっとそこにありつづけている問題である。対して父は違う。出産の瞬間を見ない人も多いだろうし、翌日から会社に行く。そうなると子供の顔を見るのは会社から帰ってきて寝るまでの数時間……。

「よし、今日の土曜日は天気がいいからパパと一緒にペンキ塗りするか!」「うん!」というような「スペシャルデー的家事育児」。これはもちろん素晴らしいのだが、通常の家事育児はちょっと色合いが違う Photo by iSotck

母性の名の下に授乳マシンと化し、睡眠や行動の自由を剥奪されながら育児をしているお母さんと当事者意識が乖離するのは当然である。つまり、父親が「お手伝い感覚」になるのはこの国の働き方や民族性に関わる構造的問題でもあるのだ(男の人間性もあるがそれは個人にまかせる)。ではこれをどう解決すればいいのだろうか。