11月30日 北里柴三郎が伝染病研究所の所長に就任(1892年)

科学 今日はこんな日

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"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1892年の今日、東京・芝に北里柴三郎(きたざと しばさぶろう、1853-1931)が大日本私立衛生会の伝染病研究所の所長に就任しました。

  北里柴三郎(右)、ドイツ留学時代の恩師ロベルト・コッホと photo by gettyimages

北里は、熊本医学校(現熊本大学医学部)、東京医学校(現東京大学医学部)で医学を学び、内務省衛生局に入局。32歳でドイツに留学すると、病原微生物研究の第一線で学び、破傷風菌の純粋培養、毒素に対する免疫 抗体の発見、血清療法の確立、といった世界的な業績をあげました。

ところが、39歳で帰国した当時の日本には、北里を受け入れる機関がありませんでした。そこで、日本の宝というべき優秀な研究を埋もれさせてはならないと、福沢諭吉らが私財を投じて設立したのが、日本初となる伝染病研究所でした。

 

東京・芝公園内の研究所で、北里は12年間初代所長として務めました。以後、日本における、伝染病、免疫の研究を牽引。赤痢菌を発見した志賀潔など、細菌学研究に重 要な役割を果たした研究者も多く在籍しました。

 関連の日:12月25日 赤痢菌の発見(1897年)

その後、1899年(明治32年)、国に寄付されて内務省管轄の国立伝染病研究所となりました。1906年(明治39年)、現在の港区白金台に新築移転の後に、1914年(大正3年)に文部省に移管、東京帝国大学附置伝染病研究所を経て、1967年(昭和42年)に現在の「東京大学医科学研究所」となりました。付属病院が併設され、がんや免疫疾患、その他の難治疾患を対象にした、最先端の研究が進められています。

【写真】新旧の伝染病研究所
  内務省管轄になった後の伝染病研究所(上)と、1906年(明治39年)に新築になった建物(下)。下の写真の建物は、現在の東京大学医科学研究所の1号館として現存する photo by Kodansha Photo Archive

一方、北里は、文部省移管時に、研究所が東大の下部機関となることに賛成できず、新たに私立「北里研究所」を、旧研究所にほど近い場所に設立しました。この時は、志賀潔をはじめとする研究所の職員全員が一斉に辞表を提出するという、後に「伝研騒動」といわれる事態にまで発展してしまいます。

ともあれ、北里研究所の業績も、秦藤樹による抗生物質の研究・発見や、近年では大村智による創薬があり、広く知られるようになっています。

【写真】北里研究所旧本館
  1914年(大正3年)に建造された北里研究所の本館(旧)。現在は愛知県の博物館明治村に移築されている photo by Kodansha Photo Archive

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