「桜を見る会」問題でまた露呈…この国の深刻すぎる情報隠ぺい体質

政府の説明は根拠を欠いていた
三木 由希子 プロフィール

記録に残せない行事になってしまった

公文書管理に関わる問題を見ていると、仕組みを熟知して抜け道をうまく利用して違法性を問われないように話が組みあがっていると思うことがある。桜を見る会の招待者名簿の廃棄問題も、政治家による推薦者名簿問題も、まさにそういうパターンにはまっていると思わざるを得ない。

しかし、桜を見る会の問題がこうなっている原因の一つは、この行事がどこを主担当として事業の実績を跡付けられるような文書を作成・保存しているのか、どこがどのように関与しているのかが、いまだ不明確であることにある。

〔PHOTO〕gettyimages

行政文書は、業務の遂行とともに発生するものなので、業務の流れやどこがどういう役割を担い、決定権限を持ち、責任を負っているのかに沿って、情報が作られていくことになる。

公文書管理も情報公開も、このような権限の所在や業務のフローを想定しながら、適切かどうか、どこに情報があるかを探していく。しかし、これがいまだによくわからないところがある。安倍事務所からの推薦者名簿はその典型だが、どこがどのような責任を持っているのか、わからない運営になっている。

政治家推薦が増えたからなのか、このような方法の結果、記録が残りにくい、残さない方法になっているのは、物事をかなり歪めていると言わざるを得ない。

 

少なくとも、国立公文書館には、2006年度の桜を見る会の招待者名簿や決裁文書などが、内閣府人事課から歴史文書として移管されていることが確認できている。残念なことに、2006年度分しか見当たらない。移管されたのが2009年度以降のようで、当時は公文書管理法が施行されておらず、行政機関側の判断によって移管がされていた時代だ。

ここからわかるのは、少なくともかつては招待者名簿が3年間は保存されていたこと、一定の重要行事とみなされていたことだろう。

今、政府は、招待者名簿の廃棄を正当化するために、1年未満での保存期間であると説明し、それが行政機関の判断として妥当であるという前提である。これは、政治が桜を見る会という場を変質させ、表向きは記録に残せない行事になった結果なのかもしれない。