飯塚幸三容疑者を「パブリック・エネミー」に認定した日本社会の病巣

これは現代の「いけにえ」なのか
真鍋 厚 プロフィール

未開社会への回帰が起きている?

重要なのは、「供儀」が暴力の「予防手段」であるのに対し、「法体系」は暴力の「治療手段」であるとジラールは考えていることだ。要するにわたしたちの社会は、見方によっては「法」=「治療」から、「供犠」=「予防」に回帰しているのである。

これはわたしたちにとっての脅威の対象が全方位に拡大し、ささいなことにも傷付きやすくなっていることと、少なからず関係している。

 

未開社会における「暴力との戦い」とは、何にも増して「自然の猛威」だった。一方、現代社会における「暴力との戦い」は、「不安な主体」と「遍在するリスク」によって生み出される。どちらも「予防」が魅力的に映る。

現在では、脅威の対象となるものが生活のあらゆる領域に顔を出すようになった。社会的なつながりが乏しくなり、経済的安定が不透明になるにつれて、わずかなアクシデントにも「実存を揺るがす脅威」を見い出すようになる。

金融不安をあおるネット広告、死を想起させる健康情報、ソーシャルメディアに氾濫するヘイトスピーチと誹謗中傷、富裕層の違法・脱法行為、でたらめな報酬と雇用慣行、友人たちの成功やドロップアウト、「病気不安症」(ヒポコンドリー)の常態化……細々とした事象のすべてが「大小無数の暴力」と化す。

このような状況を「国民の総意としての暴力」という幻想で厄介払いし、「予防」に努めようとする狂気に似た振る舞いは、今後ますます顕在化するだろう。

いずれにせよ、新たな「いけにえのリスト」は、罪の軽重とは隔絶したところで問答無用に決定され、明日にでも別の誰かを「供犠の対象」に仕立てるかもしれない。

*1、3 ルネ・ジラール『暴力と聖なるもの』古田幸男訳、法政大学出版局
*2 ジョック・ヤング『排除型社会 後期近代における犯罪・雇用・差異』青木秀男・村澤真保呂・伊藤泰郎・岸 政彦訳、洛北出版