飯塚幸三容疑者を「パブリック・エネミー」に認定した日本社会の病巣

これは現代の「いけにえ」なのか
真鍋 厚 プロフィール

現代の「いけにえ」の条件

事故が起こって以降、Twitter上では【#飯塚幸三死ね】【#飯塚幸三を殺せ】というハッシュタグまで作られ、私的な感情がデジタルなネットワークを介して半ばオーソライズされている。怒りの共感の高揚に促された「象徴的な殺害」を、そうしたタグの利用者は無意識に実行しているのだ。

ここで「いけにえ」の条件が問題となる。ジラールは、「いけにえのリスト」に入る者の条件として、共同体に「同化されない」カテゴリーに属する者であることを挙げる。

〈人間供犠を全体的に展望すると、そのいけにえたちが形成する幅の広さはおどろくべきもので、異質なものの寄り集まりを見る思いがするだろう。戦争による捕虜あり、奴隷あり、子供あり、未婚の若者あり、心身障害者あり、ギリシアのパルマコスのような社会の落ちこぼれありである。いくつかの社会では、王さえもいけにえとなるのである〉(*3)

恐らく今の日本における「いけにえ」の条件とは、「社会的な悲劇として多くの国民に共有されている事件」の〝根本原因〟であり、かつ「反省の色がないなど人格的に共感できない人物」であるだろう。

この2点を満たした場合に、誰もが「国民共通の敵」と断言することができる「パブリック・エネミー(公共敵)」が誕生するのだ。

 

書類送検の直前に、飯塚容疑者への厳罰を求める署名約39万筆が東京地検に提出されたことが、まさにそれを表している。事故直後に拡大した「上級国民」というネットスラングは、そもそも「(飯塚容疑者のような社会階層の者は、「ふつうの人」とは)同類ではない」ことをすでに告げていたともいえ、ジラールの「いけにえのリスト」の定義にも十分当てはまっている。

この部分である意味対照的ともいえるのは、京都アニメーション放火事件の青葉真司容疑者だろう。犠牲者数が圧倒的に多く、社会的な衝撃も極めて大きかったにもかかわらず、青葉容疑者には、不思議なことに飯塚容疑者ほどは憎悪が集中していない。

これは、転院前に治療をした医療スタッフに「人からこんなに優しくしてもらったことは今までなかった」という感謝の言葉を伝えていたことが報じられるなど、本人のこれまでの境遇を想像させる重要な情報が度々流れていたこととも無関係ではないと思われる。