日本のお茶の間に初めてフェミニズムの風を運んだのは紛れもなく、英文学者で女性学研究家の田嶋陽子だ。ただ、テレビで男性識者たちと激しい喧嘩を繰り広げる彼女を見て、フェミニスト=怒れる女性、というイメージを抱いてしまった人は少なくないだろう。

そんな彼女をいま、再評価する動きがある。“フェミマガジン”である『エトセトラ』の2号目の特集、その名も「We LOVE 田嶋陽子!」だ。責任編集を努めたのは、作家の山内マリコさんと柚木麻子さん。

同特集を発案した山内さんは、“田嶋フェミニズム”の功績をあるきっかけで再認識したという。そんな彼女が、「田嶋陽子の日本のフェミニズムにおける功罪」についてどう考えるのか聞いてみたかった。すると、こんな答えが返ってきた。

――「田嶋陽子が日本のフェミニズムにもたらした功罪」なんて書きたくない

※以下、山内マリコさんによる寄稿

「男女平等教育」世代から見た田嶋陽子

2017年が#MeTooがはじまった年とすると、2019年は#welove田嶋陽子の年だった。少なくとも私にとっては。

これまで、田嶋陽子さんに特別の思い入れはなかった。90年代にテレビでよく見かけたタレントの一人、ただそれだけだった。彼女が“フェミニスト”なのは知っていた。けれどフェミニストがどういう意味か、当時はまったく知らなかった。

私は文字どおり、男女平等教育の時代に育った。中学校に入学したのは1993年。まさにこの年から、家庭科が男女共修になっている。「1979年に国連で採択された女子差別撤廃条約の批准に向けて、中学校・高等学校の家庭科男女共修の実現へ本格的に取り組み始めた※1」、これがその背景だったようだ。

私はたしかに、エプロンをつけた男子と一緒に調理実習の授業を受けた。しかしだからといって、男女平等の意識がこの世代に根付いているかというと、もちろんそんなことはない。家庭科の授業を受けたから、おかげでアラフォーの今、家事をバリバリこなせてます! という男子は多分いない。むしろ女子差別撤廃条約の批准に向けて私たちがあのとき教わるべきだったのは、「去年まで男子が家庭科の授業を受けていなかったことについて」だろう。“功罪”という言葉はこういう場合につかう。良いところもあったけど、悪いところもありましたよねと、やや上から指摘するときにつかう。

無論、男女平等教育は素晴らしい。男だから女だからで、一方には家庭生活に必要な知識やスキルを教えず、一方にだけ強制するのはあきらかに性差別だ。そこをフラットにしようとするのは良い点。けれど、形だけの男女平等教育では、その意味をはき違えてしまう懸念もある。では、どんな授業が必要だったのか?