尊敬しあっていた夫婦だった

数日後、さすがに何か手伝わねばと電話をかけた。母は、きちんとしゃべろうとしていたが、無理が感じられた。なんだか滑舌が悪い。気のせいだろうか。

父の死に関する届け出は済んだのか尋ねると、「まだできていないのよ」と言う。役所にはすぐに行くと言っていたはずだ。

「役所に行ったんだけど、着いてみたら何をしにきたのかわからなくなっちゃって」

離れて暮らしていた私も娘も、父そして祖父の死に納得していなかった。あんなに元気だったのに。あんなに頼りにしていたのに。

両親は共に編集者だった。編集者としてのキャリアは母のほうが長かった。お互い同僚として信頼し合ううち、恋愛関係にもなっていないのに、いきなり父がプロポーズして夫婦となった。

母はかつて教科書を編集しており、シビアな検定プロセスの中で神経を病んだ。発作も起こした。その症状を抱えたまま美術雑誌に移り、そこで父と出会って結婚したのである。自分のキャリアが父の負担になることを気にかけ、かつ発作が起きることへの不安もあって、母は仕事を辞めた。

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ていねいな暮らしをしてきた母

父は、体の弱い母を全力で守った。母は、父を裏方として支え、父が仕事で煮詰まったときには相談相手となった。
母は、理想の家庭を作って父を受け止めようと努力し、祖母から受け継いだ家事の知恵を思う存分発揮した。

茶殻を撒いて昔ながらの掃き掃除、雑巾がけ。丁寧に淹れる日本茶、コーヒー、バラエティ豊かな紅茶。梅干し、糠味噌漬け、手の混んだ料理。近所の農家で手に入れる、滋味豊かな野菜。雑誌やテレビで「美味しい」「健康に良い」と見聞きした食材や料理は、片端から採り入れた。父もそれに感化され、より良い食材を見つけるのが趣味になっていった。 

梅干しや糠漬けも自家製で Photo by iSotck

春には家族で野原を歩き、草摘みをする。フキノトウ味噌、ヨメナご飯。季節ごとに暮らしを楽しむのが、ごく当たり前の日々だった。

近所で草摘みをしてその味を楽しむ。それがごく当たり前の家族だった Photo by iSotck

私が結婚し、二人きりの生活になると、母は父だけを頼みに生きるようになる。自分は病弱だし、先立つのは私、が口癖。孫の誕生を心から喜び、娘と過ごす時間を生きがいにしていたけれども、年々衰えゆくことが怖かったに違いない。