2019.11.25

フランシスコ法王との「奇跡的の瞬間」〜「法王は下町言葉で語る!」

アルゼンチン司教が語るトレビアの数々
さかもと 未明 プロフィール

教皇が使うのは、アルゼンチンの港言葉「ルンファルド」

未明 フランシスコ教皇の言葉を最もよく理解されている日本人として有名な山野内司教ですが、教皇に最も馴染んだ言葉はどんなものですか?

「それは、ルンファルドという、アルゼンチンの港言葉なんです。とてもフランクな印象の方言ですね。日本で言えば、大阪弁とか博多弁のような、、、。本来的なアルゼンチン語ともスペイン語とも違う、独特の言葉です。

アルゼンチンは長い入植や移民の歴史がありますので、現地のインディアンとスペイン人など外国人との混血がたくさんいて、クリオ―ジョと言います。その中に、ガウチョといわれる人たちがいます。これはアルゼンチンの人が一部のスペイン系の人を小馬鹿にするとき使う言葉なんですが、『肥料にもならない、役に立たない』という意味を持ちます。そういう、ブエノスアイレスに住むスペイン系の人たちの間で話される言葉と言ったらいいでしょうか。教皇はスペインからの移民の、庶民の子として育ったんです。

 

だからそういう言葉が彼にとって一番馴染む言葉で、スペイン語、イタリア語、英語も話されますが、ルンファルドの時が一番自然で、一貫性があります

未明 なるほど、その言葉でどんなことを話されますか?

「一番よく言われるのは『リーオスを行いなさい』ということでしょうか。これは『参加する。主人公になる』といった意味を持ちます、カトリックの神父たちによく語られるのですが、バルコニーから祭りのパレードを見ているだけではだめだ。パレードに入り、参加しろと。イタリア語ですとペリフェリーデ、スペイン語ですとペリフィリア、『外に出ている』ということで、『人生のペリフィリア』を追求するようによく言われます」

未明 最近の新聞記事で、ブラジル在住の佐々木治夫司祭が、教皇は出口に立つ教会「Igreja em saida(イグレージャ エン サイーダ~カトリック新聞11月10日号より)と呼ばれていたと知りましたが、それもそういう意味を含んでいるのでしょうか。

「ただ、単に『外に出る』ということではなく、例えば『教会から離れている人に出会いに行く』『迎えに行く』ということです。もっと強く言えば、教会に関わっていない人、もしかしたら教会から離れている人の元へ足を運ぶことがIgreja em saidaです。この30年間、ラテンアメリカ、特にブラジルでは大勢のカトリックの人たちが教会を離れて Pentecostal運動に入っている状態です」

Pentecostal運動とは、奇跡や預言などの力に重きを置いてた脱カトリック教会の動きである。

来日前のタイでの教皇(photo by Getty Images)


未明 さて、アルゼンチンでの、教皇のエピソードを何かお聞かせいただけますか?

「私が日本に来る直前の1992年まで、教皇は私がいたコルドバの隣の教区のブエノスアイレスにおられました。当時はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ神父。ブエノスとコルドバの境に、有名なガエターノ教会という労働者の教会があり、聖ガエターノの日という祭日があります。その夜には人が何百メートルも並ぶんです。そして、聖人ガエターノの像に手を置いて、仕事を求めて祈るんです。みんな仕事がない。

ベルゴリオは毎年その夜になるとずっと立って、人々の告解を聞いたり、話したりしていたそうです。するとみんなが『ホルヘ―!』と呼び掛けて、さらに話をする。そのくらい、みんなに慕われていたのは有名です」

未明 向こうでは「ベルゴリオ神父様とか言わず、ファーストネームで呼ぶのだそうですね。

「そうなんです。私もブエノスに行ってマリオ神父様とか呼ばれるかと思ったら、全然違っていて(笑)」

未明 何だか素敵。とにかくベルゴリオ神父は腰が低くて、率直な方だったようですね。

「率直すぎるところもあったようで。べㇽゴリオがブエノスで司教をしていたとき、毎年5月25日には独立記念日にテ・デウムという今年一年を感謝する集いがカテドラルであるんですが、もう亡くなったキルチネル大統領やその奥さんのクリスティーナさんが来た時、普通だったら言えないようなことを言ってしまったようなんです。

その次からお二人は別のカテドラルに行くようになってしまって(笑)。だからベルゴリオが教皇になった時、クリスティーナさんはすぐに電話もしなかった。嫌だったんでしょうね。でも、カトリックの国だから仕方なく、その後やっと冷たい手紙を書いたそうですが」

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