芸大受験マンガ『ブルーピリオド』を男性性から読み解く

「少年」というマジョリティのゆくえ
阿部 幸大 プロフィール

少年は、これからも変わっていく

男性性はいま、反省を求められている。少年性も然りだ。そして、少年マンガも。

こうした男性性/少年性への批判に抵抗するひとたちが、少年は少年の価値で生きているのだから邪魔するなと、「こっちの世界にくんなよ」と、言いたくなる気持ちはよくわかる。

だが重要なことは、冒頭で述べたように、ジェンダーの問題は関係的であらざるをえないということ、そして同時に、男性性/少年性の批判は、男性性/少年性の否定を意味しない、ということである。

男女を問わず、少年マンガの少年性を擁護するひとの多くは、おそらく40年ほど昔の少年誌を読めば、そこで描かれる「少年」に違和感を覚える自分を発見するだろう。「少年」は歴史とともに変化してきた構築的な存在なのであり、少年は少年のまま、俺は俺のまま、これからも変化してゆくことができるはずだ。

 

『ブルーピリオド』というマンガにとっては欠かせないテーマである。予備校の担任の大葉は、色の使用において重要なことは何かと問うて、八虎の「関係性ですか?」という解答に「半分正解」と答える。残り半分は、「色に対して神経を研ぎ澄ま」すこと、つまり色のグラデーションに敏感になれ、ということだ。

この直後に八虎は龍二に遭遇するが、クィアな龍二が繊細な色彩感覚をもっているのは偶然ではない。

絵画における色使いの理想は、ジェンダーの比喩になっている。わたしたちは少年と少女の「関係性」を考えるともに、その豊かなスペクトラムにたいする感度を磨いてゆかなくてはならない。「あっち」と「こっち」に切り分けて一意に定義すること、それは理解ではなくカテゴライズなのだった。

いま少年マンガに必要なのは、少年という存在に秘められた多彩な可能性を見つめたうえで、他者とのより良い関係性の構築をめざして、少年性を開いていくことである。少年は一色ではない。その外に広がっている別の色のなかでこそ、少年は、より高く飛べるかもしれないのだ。

『ブルーピリオド』という少年マンガは、その可能性を色鮮やかに描きだしている。

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