芸大受験マンガ『ブルーピリオド』を男性性から読み解く

「少年」というマジョリティのゆくえ
阿部 幸大 プロフィール

「新しい強さ」へ

幸運にも、2次試験の課題はヌードモデルである。そこで八虎は「裸=ありのまま」というテーマを着想するが、そこへ龍二とセルフヌードを描いたときに得た発見を加味して、これを「ありのままは情けなくて頼りない姿」「服を着るのはそれを隠そうとする行為」という八虎的理解へと展開することに成功する。

小田原でのやりとりで八虎が龍二に伝えたのは、常識的なカテゴリーでは矛盾する要素ぜんぶひっくるめてお前だろ、ということだった。上述のテーマに辿りつく八虎は、すでに「自信がない自分」という弱さを受け入れる準備はできている。だが芸大合格には、もう一皮むけなくてはならない。

試験最終日の休憩時間、同室で受験している世田介が、八虎の絵の意図を「キャンバスの地を見せる裸の描き方さ/裸のそのまんま・・・・・感/出してんの?」と的確に講評すると、次のページがつづく。

ここで八虎は「天才」に認められ、またもや泣いてしまうのだが(彼は泣いてばかりだ)、これは同時に、世田介なりの不器用な謝罪として受けとることもできる。芸大絵画棟8階のこの廊下は、かつて芸祭で世田介が「美術じゃなくてもよかったクセに」と言い放った因縁の廊下なのだから。

この「激励」に勢いをえた八虎は、ラスト2時間で、次のように気づく──

ずっと/俺が凡人だから
自分に自身がないから/努力して戦略練ってやんなきゃって思ってた
でもコンプレックスの裏返しじゃなくって
〝努力と戦略〟は俺の武器だと思ってもいいの?

この「受験編」最後の成長は、これまでの認識と近いようで、まったく異なっている。なぜなら、ここで彼が受け入れるのは自分の「弱さ」ではなく、むしろ生まれもった「強さ」だからだ。

「世間的な価値」の競争から降りて絵を描きはじめてから、八虎は自分の凡庸さに向き合ってきた。その過程で彼は、自らの凡人ぶりを卑下しすぎるあまり、最大の長所を長所として認めることができなくなっていたのだ。またもや彼は「カテゴライズ」の罠に陥っていたのである。

 

終盤、八虎は「自信はないけど/同時にとっても傲慢だった/戦略的にやれば上手くやれるって思ってる」と考える。この反省は、自信がない「本当の」自分を、「戦略的」な自分から区別できるという考えに向けられている。いま重要なのは、それはどちらも自分なのだと認めることなのだ。

なぜそのような考えは「傲慢」なのか? それは、彼がこれから芸術家になるからなのだ。強さも弱さも受け入れて、ついに彼は自己を表現する芸術の領域へと足を踏み入れる。渋谷の青い絵で触れた偶然の奇跡を、八虎は〝努力と戦略〟の必然でふたたび掴みとるだろう。

強い少年から、弱い少年へ、そして、べつの強い少年へ。その往復運動は、「アタシ」を経由してあらたな「俺」へと生まれ変わった龍二と同じ軌跡を描いている。彼はライバルの少年たちに助けられながら、受験編の結末、ついに強い自分を肯定する強さを獲得するのである。

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