「天才・ユーミン」少女時代の「仰天の伝説」の数々

「普通の子」が「荒井由実」になるまで
週刊現代 プロフィール

中学生から六本木通い

当時、ユーミンはキリスト教系の立教女学院に通う中学生だった。杉並区にある学校に通学しながら、放課後になると駅のロッカーに隠していた私服に着替えて銀座や六本木に繰り出し、お気に入りのバンドの演奏を聴いて歩いていた。周りの同級生からみても、かなり「ませた」生徒だった。

 

同時に、この頃にはもう作詞作曲が日常の一部にもなっていた。立教女学院には昭和初期に建てられた講堂があり、その舞台わきに3畳ほどのピアノ練習室があった。ユーミンは時間を見つけては練習室に通いつめ、取りつかれたようにピアノで作曲に励んだ。

そんな日々を送るなかで、転機は突然訪れた。彼女の作った曲が「ザ・タイガース」の加橋かつみ氏の耳にとまり、彼のソロアルバムに採用されることになったのだ。まだユーミンが高校2年生のことだ。

「ユーミンは中学から高校にかけて、すでにいくつもの曲を書いていました。そんなある日、自作曲を吹き込んだカセット・テープを『私が作った曲、聴いて』と渡してくれたんです。

その中には、後のファーストアルバムに収録される『ひこうき雲』や『ベルベット・イースター』も録音されていました。あまりにも出来がよかったので、そのカセット・テープを、当時『アルファ・レコード』という会社を立ち上げていた作曲家の村井邦彦さんに託したんです」(前出・シー・ユー氏)

デモテープの中には、『マホガニーの部屋』という曲が入っていた。その曲を、たまたまレコーディング中だった加橋氏がスタジオで耳にして、一発で気に入ってしまったのだ。

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