戦争を煽ったのは誰だったのか? 民意が生んだ娯楽統制と戦争への道

大本営発表の意外な真実
井上 寿一 プロフィール

大本営発表の「デタラメぶり」を強く批判する辻田真佐憲『大本営発表』も、同様の点に注目して、戦果の下方修正がおこなわれた例を引用している。大本営海軍部発表(12月18日午後3時)「8日撃沈せるも確実ならずと発表したる敵航空母艦は沈没を免れ〇〇港内に蟄伏中なること判明せり」。

しかし大本営発表の正確な情報は、緒戦の勝利の頃までだった。戦況の悪化にともなって、虚偽・誇大のフェイクニュース化していく。ガダルカナル島の放棄を「転進」、アッツ島守備隊の全滅を「玉砕」と言い替えたことはよく知られているとおりである。

戦況の悪化は東条内閣にメディア統制を強めさせる。その東条内閣も1944(昭年7月のサイパン島陥落の責任をとって総辞職する。 

 

メディア統制の緩和

つぎの小磯国昭内閣になると、メディア統制をめぐる方針の転換が図られる。金子龍司「太平洋戦争末期の娯楽政策――興行取締りの緩和を中心に」によれば、統制の強化から緩和への転換点となったのは、1945年3月の東京大空襲だった。

統制の緩和は新聞をとおして国民につぎのように知らされた。「内務省では非常措置以来封じられていた映画館のアトラクションを解禁し、流行歌手のマイク使用の禁止を撤廃、扮装態度に対しても従来のような制限を加えず、興行の明朗闊達化を図ることとなった」。

しかしながら、統制の緩和措置にもかかわらず、国民の士気が高揚することはなかった。国民は娯楽に慰安を求めながらも、空襲で家を焼かれ、家族を失った。大本営発表を「信じたいけど、信じられない」国民は、勝てるとも負けるとも確信が持てないままに、敗戦を迎える。

玉音放送 

国民が敗戦を知ったのは、8月15日正午の玉音放送である。敗戦を正式に伝える手段がラジオである必要はなかった。天皇の詔書が新聞に掲載されればよい。それでもラジオをとおして、天皇が国民に知らせたのには理由があった

軍部内には徹底抗戦の構えを示す一派がクーデタを引き起こす勢いだった。一刻も早く正確にもっとも権威のある正式な内容を国民に伝えなければならなかった。その手段こそがラジオだった。玉音放送によって、日本は大きな混乱もなく、敗戦を迎えることができた。

戦前昭和のメディアの役割を振り返ると、『ドン・キホーテ』の作者ミゲル・デ・セルバンテスの言葉を思い起こさせる。「正直は最善の策」。メディアは双方向性を持つ。権力による一方的な被害者ではない。そうかといって権力に追従する加害者でもない。メディアによって国家が一方的に国民を動員することもできない。

メディアをめぐる社会状況は当時も今も変わらない。国家が国民の支持を調達するには、正確な情報の提供による自発的な協力を促すことが捷径である。