10月22日に行われた「即位礼大殿の儀」、11月10日の「祝賀御列の儀」、11月14日から15日にかけて行われた大嘗祭。天皇陛下の即位に伴う一連の儀式は一区切りをみせた。しかし、天皇皇后両陛下が今日に至るまでには、我々の想像を超える苦悩が隠されていた。

12月3日発売の「週刊女性」にて、「皇后雅子さま〜笑顔輝くまで」の漫画連載を始めるにあたり、資料を読み漁り、過去の動画も見まくっている折原みとさんは、その「雅子妃の苦悩」の本質を知らなかったことに愕然としたという。

では、折原さんが愕然とした雅子さまの苦悩とは何だったのか……。折原さんの語り口で伝えていく連載第3回。「いい夫婦の日」である今回は、皇太子時代の陛下が懸命に雅子さまを支えながらも、苦しい状況においこまれていた「ご懐妊問題」についてお伝えする。

「皇室外交に新しい風」

令和元年11月10日に行われた、祝賀御列の儀。パレードで沿道の人たちの祝福を受けながら、時折涙ぐまれていた雅子さま。その胸には、どんな想いがこみあげていたのだろうか。

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26年前のご成婚パレードで、大輪の花のように幸せな笑顔を見せていた皇太子妃。その雅子さまが皇后となられるまでに、乗り越えてきたものとはなんだったのか……。今回からは、そのひとつひとつを紐解いていきたい。

26年前のご成婚パレード Photo/JMPA

ハーバード大学から東大大学院法学部を経て、外交官試験の40倍の難関を突破。かつては外交官としてバリバリ活躍していた雅子さま。幼い頃から海外生活が長かったからこそ、日本人であることを強く意識し、日本のために働きたいという夢を持っていたという。皇室に入られる際には、「天職」とさえ思っていた仕事を手離すことを、ずいぶんと悩まれたことだろう。その雅子さまの心を動かしたのが、陛下のこの言葉だった。

1992年7月23日、外務省職員として出張先のNYにて。この直後に浩宮殿下と再会した 写真提供/宮内庁

「外交という分野では、外交官として仕事をするのも、皇族として仕事をするのも、国を思う気持ちに変わりはないはず」

努力して積み上げてきたキャリアや能力を、これからは皇太子妃として国のために役立てていきたい。……雅子さまは、新しい人生に、そんな希望と意義を見出したのはないだろうか。

「皇室外交に華」
「皇室外交に新しい風」

1993年1月7日、雅子さまの皇太子妃内定を伝える新聞には、そんな文字が並んだ。マスコミも国民も、外交官というキャリアを持つ皇太子妃に、新しい皇室像や皇室外交を期待して湧きかえっていたはずだ。……最初こそは。

しかし、皇太子妃としての雅子さまに、本当に求められていたのは、優秀な頭脳でも、語学力でも、元外交官のキャリアでも外交能力でもなかった。将来の「天皇」となられる皇太子。そのお妃としての一番の役目は、皇統を守るために「お世継ぎを産むこと」だったのだ。