つまり、オーソドックスなクラシック音楽の基準によって指定された協和音の感覚(旋律への美醜の意識)に基づいて、現代の曲作りがおこなわれているわけです。
ジャズや現代音楽で多用されている不協和音を「野蛮な音」とよんでいた18世紀の感性で、20世紀後半以降のロックが作られている。ロックミュージックの存在意義を考えると、じつに面白い状況です。
そのような曲の代表例としては、レディー・ガガ「Poker Face」や U2「With Or Without You」があります。少し前でいえば、ビートルズの「Let It Be」も同様です。
一周回って元通りのような、ちょっとふしぎな現象は、なぜ生じているのでしょうか? じつは、文化的な背景がきちんとあります。
源流は「民族音楽」にあり
18世紀に確立された和声学は、当時のクラシック音楽のみならず、さまざまな民族音楽にも影響を与えました。時代の最先端だった和声学の理論や音の魅力が、当時の大衆文化に伝播していくのは、ごく当たり前のことでもあります。
やがて、ヨーロッパ各地の伝統民族音楽──ケルト音楽からブルターニュ音楽、ブルガリアン・ヴォイスとよばれる女声合唱からイタリアのカンツォーネまで──が、和声学の影響を受けて変化していきました。
その過程では、個々の伝統民族音楽において使用されていた民族楽器が、18世紀以降に誕生した新しい楽器に置き換えられていく、ということも起こりました。

拡大画像表示
なぜなら、和声学の確立は、楽器の発達の仕方にも大いに影響を与えており、時代の流れの中で生き残った楽器がある一方、廃れてしまった楽器も大量にあるからです。
現代のロックミュージックやポップスは、良くも悪くも和声学の影響を多大に受けた伝統音楽から派生した枝葉の先に位置づけられます。したがって、あたかも連綿と続く遺伝子のように、18世紀の和声学の影響を深く受け継いでいるのも、ある意味で自然な流れといえるのです。
「耳に残りやすい」ことが生き残るカギ
大きな歴史の流れがわかった後でも、もう一つ疑問が残りますね。和声学の伝統が、ポップスやロックミュージックのなかで今なお生き残っているのはどうしてなのか?
いくら影響を受けたとはいえ、伝統民族音楽を通じての間接的なものですし、何より300年もの時間が経過しています。それなのに、現在でもはっきりわかるほどにその伝統が息づいているのはなぜなのか?
その理由には、音楽につきものの、ある特徴が関係しています。