日本で「変人」扱いされた「熱帯女子」、アメリカで大学教員になる

あるリケジョの汗と涙の記録
杉山 杏奈 プロフィール

暗黒の大学院時代

行き当たりばったりだった私は、大学4年の夏から受け入れ先の研究室を探し始めた。その秋に初めて受けたGRE※2のスコアがあまりに悪かったので、もう一度回受け、いくつかの大学院に出願した。その結果、1校から入学許可をもらうことができ、その大学院に潜り込んだ。

日本の大学院で博士号をとる場合、2年間の修士課程を修了後、3年間の博士課程を経るのが一般的だ。アメリカでは学部を卒業してすぐに、博士課程(Ph.D.コース)に進学することができる。私はその時点では研究者になりたいと思っていたわけではなかったが、せっかく留学するならとPh.D.(博士号)コースに進学した。

留学時代を過ごしたジョージア大学植物学科の建物
 

研究者の世界やアメリカの大学院の制度など、何もわからないまま留学してしまったので、大学院時代は「暗黒時代」であった。

そもそも大学院以前に、アメリカでは、日本ではありえないトラブルが少なくない。例えば、郵便物がまだ配達されていないのに、追跡システムでは「配達済み」になっていたり、再送を頼んでも、頼んだ日に来ないなんてことはざらだ。これまで、自宅にインターネット回線を引く契約を交わしても、使えると言われた日に使えたことは一度もないし、前回アパートに引っ越した時は、もらったアパートと郵便箱の鍵が一つも合わず、結局、ドアノブ・錠ごと交換になった。

アメリカの大学院では、最初の2年間は授業がけっこう多かった。学期末にレポートや試験を1回こなせば単位がもらえるということはなく、一つの講義が週に2・3回あって、毎回のように論文の読書課題などが出される。論文の読書課題についてのディスカッションやプレゼンの課題もたびたび出され、たとえ知っている内容についての講義であっても全部英語で覚えなければならないので、苦労した。

※2 アメリカ合衆国やカナダの大学院へ進学するのに必要な共通試験