いまから25年前に、40歳で助教授だった私は、ブルーバックスから『道具としての微分方程式』を刊行した。
経緯を述べると、『スーパーウェット数学入門』という題名の原稿を書いて、それを数学の教科書を得意とする5〜6社の出版社に順に送り付けて、順にはねられた。
そのうちに、講談社サイエンティフィクの編集長からブルーバックスへ紹介してもらい、当時の編集長Y氏の判断で採用されたという次第である。
タイトルはY氏の提案に従った。ブルーバックスを教科書に指定し、大学の書籍部に平積みにしてくれる先生がいるかな? と心配したが、私を含めて少なくとも2名いた。本の値段が普通の教科書の半分以下なので学生は喜んでくれた。
その原稿は、私が研究室のボスと研究の方向や方法で対立し、ボスから「いまから2年のうちに、どこか就職先を探してここを出てください」と言われてポストを探していた時期に書いた。
講義は引き続き担当したが、私の転出後のことを考えて、指導する学生をぐっと減らした。ポスト探しのため、研究室の雑用や学科の仕事をしないで済むようにボスが配慮してくれたので時間があった。給料は減らされなかった。
毎日、朝から晩まで職を探したからといって決まるわけではない。当時は、転職サイトはほとんどなく、毎月初旬に発行される『化学工学』、『日本化学会誌』、『高分子』といった学会誌の「教員公募欄」だけが頼り。したがって、「給料泥棒!」と言われても否定できなかった。
「お天道様の罰が当たる! このままじゃいかん!」
自分が担当している「移動速度論」という講義の内容をまとめて本の原稿を書いてみようと思った。
大学の先生が若くして(助教授なのに)本を書くと、周囲の教授から「君、研究ちゃんとやっているの?」「書く時間よくあるね!」「本は退官してから書くもんだよ」と言われるに決まっていた。
しかし、私の場合、前者2つはクリアできた。「研究は、事情があって、いまお休みしています」「書く時間はたっぷりあります」と反論できた。