「不平等」「押しつけ」ではない?“条約改正”をめぐる歴史の新常識

「日本近現代史」研究の最前線
日米貿易交渉やGSOMIAをめぐる日韓の対立など、昨今何かと話題になる日本外交だが、その外交史を紐解くなかで代表的な成功例として挙げられるのが、明治期の「不平等条約の改正」だろう。

日本の長年の悲願である不平等の是正を達成したものと理解されている「条約改正」。しかし、最新の研究ではこうした理解とは異なる説明がされるようになっている。

近現代史の見方が変わる、目からウロコの“歴史の新常識”。今回は「条約改正」について取り上げる。

「条約改正」の新常識

条約改正といえば、明治維新後の日本にとって最大の外交課題である。

1894年・陸奥宗光・治外法権

1911年・小村寿太郎・関税自主権

試験前に暗記したという方も多いのではないだろうか。

このように有名な条約改正だが、近年、理解の仕方が変わってきている。

簡単にいえば、「日本は西洋諸国に押しつけられた不平等条約を長年の格闘の末に改正した」というのとは異なる説明がなされている。

押しつけではなく交渉

1853年にペリーが日本にやってきて開国を求め、翌年、江戸幕府は日米和親条約を結ぶ。1858年には日米修好通商条約が締結された。その他の西洋諸国とも同様の条約が結ばれ、日本はそれらの国々と外交関係を持ち貿易をおこなうことになる。

当時、幕府が西洋諸国の軍事力を脅威として認識していたのは間違いない。

18世紀末からたびたび外国船が日本に来航し、緊張感を高めていた。西洋諸国や世界の現状について、幕府のもとにはさまざまな情報がもたらされた。中国でのアヘン戦争、アロー戦争の経験も伝わってきている。ペリーは「黒船」を率い、江戸のすぐ近くで力を誇示した。

それでは、日本は西洋諸国の力に屈して強引に不平等条約を押しつけられたのか。近年の研究ではそのように捉えないことが多い。

三谷博『明治維新とナショナリズム』(山川出版社、1997年。副題略。以下同様)は、「日本の開国過程は西洋列強の外圧に対する譲歩と理解するだけで十分であろうか。〔…〕外圧が開国に決定的な役割を果たしたからといって、当の日本人、特に外交当事者の幕府に、主体性が欠如していたと解するのは妥当だろうか」と問い、その主体性の現れ方や外圧との関わりを探った。

加藤祐三『幕末外交と開国』(講談社学術文庫、2012年)は、平和的な交渉による国際関係への道を開いた点で、日米和親条約を通じた日本の開国は国際社会にとっても大きな意義があったとする。そして、「黒船に恐れをなし、屈辱的な条約を強いられたのではない。幕府による日本最初の本格的外交が平和裏の開国をもたらしたのである」と論じている。

渡辺浩『日本政治思想史』(東京大学出版会、2010年)は、「おそらく、ペリーの要求の受諾、「開国」の第一段階は、単に蒸気船などの高度先端技術の脅威に面しての屈辱的譲歩ではなかった。それは、一面において、国内外を通じて妥当するはずの「道理」に関する説得に出合い、それに積極的に賛同した結果なのである」と説く。日米修好通商条約調印についても、単なる軍事的圧力への譲歩ではなく、「道理」に対する意識が根底にあったことを指摘している。

そのように、幕府が結んだ条約は強要ではなくあくまでも交渉や説得の産物であったという点が強調されている。